そして、本当に蛾王は楓香樹で良いのか、[[蚩尤]]は楓の木で良いのか? となる。誰か他のものを'''無理矢理害虫と一体化する'''ことで、祟り神のような悪者に変換してはいないだろうか、と思うのだ。そもそも建木を立て管理するのは[[黄帝]]の役目ではなかったのか。何故、我らは人身御供を禁じた川の神である[[黄帝]]の変化した[[河伯]]に人身御供を捧げなければならないのだろう? それは'''川の神と人身御供を求める疫神を習合させた'''ものがいて、'''災害を起こす川の神に人身御供を捧げなければいけない'''、と無理矢理決めてしまったからではないのだろうか。チャンヤンの神話は、時代が下ると洋の東西に広がって、理論的に整合性のない奇怪な神話を各地に生み出していくように感じるのだ。
=== まとめ ===
チャンヤンは大洪水を生き抜いた[[伏羲型神]]なのだけれども、弟を自ら殺しているし、相談役で親ともいえる「'''竹'''」を自分の都合で情け容赦なく燃やしたりしているので、文化英雄なのだけれども、[[祝融型神]]としたい。火や技術の神でもある[[祝融]]は、血縁よりも技術力を優先して物事を行う傾向があるように思うのだが、その起源は[[バロン]]・[[ダロン]]神話の[[ダロン]]よりは、チャンヤンの姿勢にあるのではないだろうか。
チャンヤンの父ともいえる蛾王は、妻とつつく神なので[[祝融型神]]といえる。妻のメイパンメイリュウは[[吊された女神]]といえると考える。
== 私的注釈 ==