大抵の神話は「'''ここから派生した'''」といえそうなプロットを仮に作ってみた。黄帝と祝融(炎帝)との対立をベースにしている。」といえそうなプロットを仮に作ってみた。[[黄帝]]と[[祝融]]([[炎帝]])との対立をベースにしている。
== 本来あったと思われる伝承のプロット ==
9.子孫の時代になると姜一族は増え、王室はますます栄えたが、社会制度や道徳観念が整ってくると王室の歴史に色々と問題が生じるようになった。先祖である姫補佐官と饕餮補佐官の仲が悪いことは体裁が悪い。姫補佐官と息子の姜王子の仲が悪いのも体裁が悪い。父親殺しなんてもっての他である。母親殺しもまずいけど、姜王子が早い段階で太陽女神信仰と母の存在を公式の記録から消してしまっていたから、こちらは子孫の政治的課題にはならなかった。ともかく、父系の男の家族はみな仲良しだったことにせねばならないのだ。
そこで、姫補佐官を「'''黄帝'''」、饕餮補佐官を「'''炎帝'''」として二人とも神格化して並び立てることにした。彼らは喧嘩もしたけど、仲も良かったのだ、ということにした。饕餮補佐官は怠け者でたいした業績がなかったので、「天地を支える存在」であることに加えて、「土神」としての性質を」として二人とも神格化して並び立てることにした。彼らは喧嘩もしたけど、仲も良かったのだ、ということにした。饕餮補佐官は怠け者でたいした業績がなかったので、「土神」としての性質を'''黄帝から炎帝に移すことにした'''。そうすると、
「黄帝が天(円)、炎帝が地(方)」
姫補佐官と姜王子の関係は一つにまとめることができなかった。姫補佐官が悪い、という人達と、姜王子が悪い、という人達がいて反発しあうからだ。そこで3つのパターンを作った。この頃には姜王子は「火を祀る一族」にちなんで「火神」とみなされるようになっていた。姫補佐官と姜王子の関係は一つにまとめることができなかった。姫補佐官が悪い、という人達と、姜王子が悪い、という人達がいて反発しあうからだ。そこで3つのパターンを作って、別々の話として語り継ぐことにした。この頃には姜王子は「火を祀る一族」にちなんで「火神」とみなされるようになっていた。'''天の太陽神でもあり、地の火神でもある'''のだ。
# 姫補佐官と姜王子が戦って、姫補佐官が勝ったパターン。これを、黄帝と'''蚩尤'''の戦い、とした。父と子の関係はなかったことにした。でもクー・フーリン(「犬」という名の英雄)とコンラ、ロスタムとソフラーブ、シヴァ(蛙)とガネーシャ(火)、伊邪那岐命と火之迦具土神の中に「父が子を殺すパターン」が残されている。の戦い、とした。父と子の関係はなかったことにした。でもクー・フーリン(「犬」という名の英雄)とコンラ、ロスタムとソフラーブ、シヴァ(蛙)とガネーシャ(火)、伊邪那岐命と火之迦具土神の中に「'''父が子を殺すパターン'''」が残されている。# 姫補佐官と姜王子は戦うけれども、和解して姜王子の子孫が認められるパターン。ヤオ族の伝承では、これを黄帝(雷)と蚩尤(父親)との戦いの後、蚩尤の子'''伏羲'''だけが許されて生き残る、とした。さらに[[伏羲]]は[[禹]]という名に変えられて、夏という国を作ったこととされたと考える。(という名に変えられて、夏・周という国を作ったこととされたと考える。([[禹]]は[[祝融]]同様水神を殺す。)だから夏の皇室の名は'''姜'''だったと思われる。# 姫補佐官と姜王子が戦って、姜王子が勝ったパターン。'''[[祝融]]'''と[[共工]]の戦い、あるいは[[祝融]]と[[鯀]]の戦いである。[[黄帝]]は悪神とされた。でも、インドと日本の神話にだけ、火神が親を焼き殺す話が残ってしまったのだった。は悪神とされた。でも、インドと日本の神話にだけ、火神が親を焼き殺す話が残ってしまったのだった。姫補佐官が悪神とされる場合は、その鬼の怒りをなだめるために、「'''親を殺した女王'''」に見立てた娘を生け贄に捧げなければ、不吉なことが起きるとされた。
こうすると'''土神、植物神、蚕神としての姫補佐官は消してしまわなければならない土神としての姫補佐官は消してしまわなければならない'''ので、国内からはほとんど消した。あくまでも「犬族の姫補佐官神は土神である」と言い張る人々は粛正の対称とされた。後に彼らは政治という祭祀(占い)の場で姫補佐官の霊にお伺いを立てるための人身御供として、殷でどんどん殺されることとなった。
=== 10 ===
10.もう一つ、人身御供に関する方便は「首狩」である。こちらは「成人儀礼のために余所の部族の首を狩ってこい。」というものだった。これも「'''男子の成人式に必要なことだし、殺すだけで食べないのだから、禁止事項には当たらない。'''」とされた。成人式は誰かを殺して先祖の'''日月樹'''に捧げ、木と一体化する重要な行事とされた。首を狩られる者は、炎帝と一体化するために必要な人身御供だったのだ。でもこの儀式は王国が大きくなっていろんな部族が国民に加わるようになると、国民が互いに殺し合う原因となって、だんだん邪魔になってきた。そこで「首狩」は禁止とされ、抵抗した人々は船に乗せられて沖に流され、国を追い出された。(姫補佐官のこと)に捧げ、木である先祖と一体化する重要な行事とされた。首を狩られる者は、戦士たちが[[黄帝]]と一体化するために必要な人身御供だったのだ。でもこの儀式は王国が大きくなっていろんな部族が国民に加わるようになると、国民が互いに殺し合う原因となって、だんだん邪魔になってきた。そこで「首狩」は禁止とされ、抵抗した人々は船に乗せられて沖に流され、国を追い出された。
=== 11 ===
'''蛙饕餮'''
という合成神を作り出した。姫補佐官と饕餮補佐官を一つの神にまとめて「父神」と呼ぶことにしたのだ。そうして二人が「'''天の蛙饕餮神'''」となるようにしたのだ。そこまで極端にしなくても'''「2神」が日月を支えて天に並び立つ'''と考える人たちもいた。ちなみに蛙のことを中国では「蛙黽(あぼう)」というので、蛙饕餮のことを人々は「アペ父さん」と呼んでいた。こうして黄帝も炎帝も採用せず、「アペ父さん」を祀っていた人々は石家河文化へと移り、と考える人たちもいた。ちなみに蛙のことを中国では「蛙黽(あぼう)」というので、蛙饕餮のことを人々は「アペ父さん」と呼んでいた。こうして黄帝も炎帝も採用せず、「アペ父さん」を祀っていた人々は石家河文化へと移っていった。彼らは
「黄帝が天(円)、炎帝が地(方)」と考えた屈家嶺文化
から分かれていったのではないだろうか。「'''天の蛙饕餮神'''」は仰韶文化、縄文八ヶ岳の人々に信仰されたと思われ、彼らの土器に'''蛙人紋'''として残されていると思われる。として残されていると思われる。そして、この蛙饕餮の中には「姜王子('''祝融''')」の性質も混じっていたと思われる。何故かというと、人々が 「姜王子('''祝融''')は饕餮の生まれ変わりだ。」 と考えていたからだ。だから姜王子('''祝融''')と饕餮をまぜこぜにして語り継いでいた。甘基王(ガンジ王)やザグレウスとディオニューソスの神話にその考え方が見えるように思う。
=== 12 ===
女神たちの変遷を纏めれば、殺された姜女王は太陽女神から月の女神へ変化した。姜王子が自分で太陽神・火神を名乗りたかったからだ。そして、本来は太陽女神に捧げられて切り刻まれた人身御供たちの肉片が植物の「種」とされていたのだが、'''切り刻まれた姜女王の肉片が植物の「種」とされるようになった'''。姜女王が太陽女神だったのなら、生け贄たちも彼女と一体で同じもののはずだから。そして、姜女王の肉片(種)を娘の女王が人々に与える、とされた。種はいったん地面の下に入るものだから、姜女王には地母神、冥界神の性質も与えられた。こうして、姜女王は。姜女王が太陽女神だったのなら、生け贄たちも彼女と一体で同じもののはずだから。そして、姜女王の肉片(種)を妹の女王が人々に与える、とされたのだろう。種はいったん地面の下に入るものだから、姜女王には地母神、冥界神の性質も与えられた。こうして、姜女王は
太陽女神から転落して地母神(冥界神)
にされてしまった。伏羲・女媧伝承では「母女神」は存在そのものが消されて消滅しており、それは「'''伏羲・女媧の第1子[[ヒョウタン]]'''」という形で表されることになった。母系が強い時代には、殺された姜女王は」という形で表されることになった。殺された姜女王は
「'''女媧の第1子[[女媧]]'''」
という形に変換されたのだと思う。女媧の第1子がという形に変換されたのだと思う。[[女媧]]の第1子が'''母親の手でバラバラにされて、種としてまかれた'''ということにして、その記念に「第1子を殺して神に捧げよう。」という祭を行うことになった。西方で「幼児供犠」という祭祀に変化したと思われ、非常に評判が悪かった。子供をバラバラにしてばらまくメーデイアという女神も登場した。伏羲という神は、父系が優位になってきてから付け加えられたのだと思われる。ということにして、その記念に「第1子を殺して神に捧げよう。」という祭を行うことになった。西方で「幼児供犠」という祭祀に変化したと思われ、非常に評判が悪かった。子供をバラバラにしてばらまく[[女媧]]のメーデイアという女神も登場した。[[伏羲]]という神は、父系が優位になってきてから付け加えられたのだと思われる。
ベンガルのコンド族の農耕祭祀では人身御供は第1子に限定されず、古い形式の太陽女神の祭祀を強く残していたと考えるが、彼らの地母神女神はタリ・ペンヌーといった<ref>J・G・フレイザー著 吉川信訳『金枝篇 上』ちくま学芸文庫、2003年、521-525頁</ref>。カルタゴで「幼児供犠」の生け贄を受けた第一の神はタニトという女神だった。おそらくベンガルの女神とカルタゴの女神は同起源だと考える管理人である。(彼らの中間地点にはバビロニアの女神ティアマトがいる。)彼らは本来は、子供を殺したのではなく、'''母親を殺した女神母親や姉を殺してバラバラにした女神'''だったのだろう。
=== 13 ===
太陽女神だった姜女王とその夫との子の神話的象徴が伏羲・女媧とすれば、伏羲は姜王子の姿を投影した神といえる。伏羲は祝融、禹の別の姿でもある。ということは女媧は塗山氏女の別の姿でもある。塗山氏女は夫の禹に追い回されて死んだ。管理人が、姜王子が妹で妻でもある者を殺したのだろう、と考える所以である。太陽女神だった姜女王とその夫との子の神話的象徴が[[伏羲]]・[[女媧]]とすれば、[[伏羲]]は姜王子の姿を投影した神といえる。[[伏羲]]は[[祝融]]、[[禹]]の別の姿でもある。ということは[[女媧]]は[[塗山氏女]]の別の姿でもある。[[塗山氏女]]は夫の[[禹]]に追い回されて死んだ。管理人が、姜王子が妹で妻でもある者を殺したのだろう、と考える所以である。<table class="wikitable"> <caption>黄帝関連対比表</caption> <tr> <th>母女神([[燃やされた女神]])</th><th>父神</th><th>息子妻女神</th><th>息子神・疫神</th><th>備考</th> </tr> <tr> <td>[[ヒョウタン]]</td><td></td><td>[[女媧]]</td><td>[[伏羲]](ときに犬形とされる<ref>百田弥栄子『中国の伝承曼荼羅』三弥井民俗選書、1999年、188-189頁</ref>)</td><td>[[伏羲]]・[[女媧]]型神話</td> </tr> <tr> <td>有莘氏女嬉</td><td>[[鯀]]</td><td>[[塗山氏女]]</td><td>[[禹]]</td><td>五帝神話との対比</td> </tr> <tr> <td>有莘氏女嬉</td><td>白馬</td><td>[[塗山氏女]]</td><td>[[禹]]</td><td>五帝神話との対比</td> </tr> <tr> <td>[[相柳]]</td><td>[[共工]]</td><td></td><td>[[祝融]]</td><td>祝融神話との対比</td> </tr> <tr> <td>西王母的妻</td><td>譚華丹</td><td></td><td>甘基王([[盤瓠]]風・蛙)</td><td>ヤオ族の[[羿]]的神話との対比</td> </tr> <tr> <td>[[嫦娥]]</td><td>[[羿]]</td><td></td><td>[[逢蒙]]・[[黒耳]]</td><td>[[羿]]神話との対比</td> </tr> <tr> <td></td><td>蛙[[羿]]</td><td></td><td>干ばつ(複数の太陽)</td><td>土家族神話との対比<ref>百田弥栄子『中国の伝承曼荼羅』三弥井民俗選書、1999年、135-136頁</ref></td> </tr> <tr> <td></td><td>蛙</td><td></td><td>雷神</td><td>壮族神話との対比<ref>百田弥栄子『中国の伝承曼荼羅』三弥井民俗選書、1999年、136頁</ref></td> </tr> <tr> <td></td><td>[[盤瓠]]</td><td></td><td>干ばつ・水難([[祝融]])</td><td></td> </tr> <tr> <td></td><td>[[盤瓠]]</td><td></td><td>息子たち</td><td></td> </tr> <tr> <td>養蚕の母</td><td>[[黄帝]]</td><td></td><td>[[祝融]]・[[蚩尤]]([[炎帝]]・[[饕餮]])</td><td>炎黄闘争との比較</td> </tr></table>
=== 14 ===
14.また、時代が下って姫補佐官と姜女王が仲の良い夫婦であった、という伝承も希薄になってきた。炎帝と姜女王が姉弟だったことも。そして、14.また、時代が下って姫補佐官と姜女王が仲の良い夫婦であった、という伝承も希薄になってきた。炎帝と姜女王が姉弟だったことも。そして、新たに'''夫の姜王子に殺された蚕王女の化身に見立てた若い娘が狙い撃ちのように人身御供に立てられるようになった'''。これは子孫が姜王子の霊に妻を与えて、これを慰撫するためのものだった。姜王子は生きている時にとても恐ろしい男だったので、鬼神となった後も人々は彼を恐れていた。それに、姜王子は饕餮補佐官の生まれかわりとも考えられていたので、彼が再び生まれかわってくるかもしれない、と人々はそれも恐れていた。彼に敵だと見なされたら、それだけで身が危ういと皆考えていた。
ともかく、'''女は女であるだけで悪いのだ'''、とされるようになり、殺された女性たちは「芋の母」とか「蚕の母」とみなされるようになった。
=== 15 ===
15.そしてとても長い年月が流れた。その王室の子孫たちは、姜王子にならって、本当に先祖の姫補佐官のことを邪魔者だと思っていたし、'''姜女王の事を一族を裏切った悪い女だと思っていた'''。でも、自分たちが直接人身御供を立て続けていたら、親殺しの先祖の姜王子が非難されるし、文明が進んで殺人もだんだん悪いこととされるようになってきた。そこで、裏から人を操って、自分たちの政敵や標的を、「。子供たちを育てて、夫の姜王子に使えた、妹の姜王妃のことは、「'''良い王妃だった。'''」と褒め称える人たちと、「'''夫の姜王子を操った悪い王妃だった。'''」と悪く言う人に分かれた。 そして、子孫たちは直接人身御供を立て続けていたら、親殺しの先祖の姜王子が非難されるようになってきたし、文明が進んで殺人もだんだん悪いこととされるようになってきた。そこで、裏から人を操って、自分たちの政敵や標的を、「'''他人に人身御供として殺させる'''」ようになった。そうして自分たちの先祖からは、姜女王、姫補佐官、饕餮補佐官の名前を隠してしまった。そして、自分たちの名前も隠してしまったので、今ではもう姜という名前は、自分たちでは知っているけれども、名乗っていないのである。 == 私的解説 ==13項の図にあるように、[[黄帝]]、[[羿]]、[[槃瓠]]、ときに蛙トーテムの人は「'''同じ神'''」であると管理人は考える。 * 彼らはたいてい、干ばつ、ときに水害と闘い* 息子的な存在と対立して、だいたい殺されてしまう* (人身御供を禁じる側である) という共通した特徴があるように思う。 == 脚注 ==
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[[Category:伝承列伝]]