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216 バイト追加 、 2024年11月26日 (火) 22:54
どんど焼きにおいては、[[歳徳神]]と「塞の神」あるいは「岐の神」というのは「'''同じ神'''」という扱いであるようだ。ただ、「道祖神」というと、管理人のイメージでは安曇野のもののように「'''男女一対'''」で表されるものだし、もっと一般的に広く「道の神」といえば猿田彦という男性形の神が当てはまると思うので、「[[歳徳神]]」が女神だとすると、これらを「'''同じ神'''」と呼ぶのは、いささか違和感を覚える。また、富山県の「塞の神まつり」のように、由来では「川から人形が流れてきた」とあり、これを疫神と恐れて燃やしたことが始まりのように言われているのに、何故か「'''男女一対の塞の神'''」を作って、これを燃やしてしまうことにも違和感を感じる。境界を守ってくれる神々がいなくなったら逆に疫神は村に入り放題になってしまうのではないだろうか。
これは本来「火の力」、すなわち「太陽の力」が弱った冬季に、疫病神が共同体に入らないよう、'''境界などを火で炊いて清める'''ことで共同体を守る、という祭祀だったのではないだろうか。そのために疫病神をそのまま焼いて「炊き上げる」のが本来の祭りの姿だったかもしれないと考える。ことで共同体を守る、という祭祀だったのではないだろうか。そのために疫病神をそのまま焼いて「炊き上げる」のが本来の祭りの姿だったかもしれないと考える。例えば鹿児島の「鬼火たき」はまさにこのような例で、「'''正月の七日に大やぐらを焼いて、正月飾りについてきた悪霊を追い払う'''」祭りだとのことである。
== 関連項目 ==

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