<blockquote>雷公は昔は「'''良い雷公'''」で、人々の生活に役立つように定期的に必要な雨を降らせてくれていた。川も洪水なんか起こさなかった。でも、大男と喧嘩してからは人類に冷たくなって、伏羲の子供達にも冷酷だった。雨は必要がないときにどんどん降るし、川もあちこちで洪水を起こした。雷公はすっかり「'''悪い雷神'''」になってしまったのだ。伏羲は父親の後を継いで雷公と戦う決心をした。'''父親は火の神様だった'''ので伏羲は父親に倣って火を使い、鉄の武器や鍬や鋤を作った。雷公は鉄が苦手なことをちゃんと知っていたのだ。そして、火そのものまで自在に操れるようになった。伏羲自身が新たな「火の神」となったのだ。伏羲は「火の神」を意味する'''祝融'''という名を名乗るようになった。その頃、雷公はますます人類に対して田んぼや畑を潰したり、家畜を流したり、ひどいことをするようになったので、人々は親しみを込めて「雷公」と呼ぶのをやめて「'''共工'''」と呼ぶようになった。共工には部下に相柳という凶暴な蛇神までつき従っていた。祝融は立ち上がり、共工と戦った。正義と復讐のために自らを鍛えてきた祝融の前に共工は敵ではなかった。祝融は共工と相柳と戦い、これを討ち取った。その記念に戦いのあった山を「共工山」と名付けた。そして、祝融は'''禹'''と名を変えて夏という王朝を興し王となった。禹というのは「'''毒蛇'''」という意味である。毒蛇に噛まれると「'''火のように熱く感じる'''」ことからそのように名乗ったのだった。まとめれば、'''昔は良い神だった雷光は悪い水神の共工になってしまったので、禹に倒されてしまった'''のだった。</blockquote>
=== 昔は良い人だったのに? ===
管理人が書いた「'''その後の物語'''」については全く根拠がないわけではない。中国神話の方から述べれば'''祝融が共工を倒した神'''であれば、その際に部下の'''相柳も倒した'''と考えらえる。その'''相柳を倒したのが禹'''なのであれば、'''禹とは祝融のことである'''、と自然に帰結する。一方、「良い」とか「悪い」というのはそれを見る人の立場や視点によっても変わってくるものなので、水雷神で龍蛇形の黄帝のことをさまざまな思惑から「良い神」とみなす人もいれば、その逆に「悪い神」とみなす人々も当然いたであろうと思う。管理人は、伏羲・女媧の伝承は、管理人が付け加えた物語と一体となった「'''夏の創設神話'''」の一部だったのではないか、と考える。本来の禹とは、'''父親の仇を取った英雄王'''、と言われていたのではないだろうか。その方が一王朝を創設した英雄に相応しい神話といえる。伏羲と女媧、すなわち禹と塗山氏女は「人類の創造者」ではなく「'''夏の創設者'''」だったのだろう。でも黄帝の権力が拡大するにつれて、王権の強化のために、他にあった人類の創設神話と組み合わせる形で、「人類の創造者」にまでその姿が拡大してしまったのではないだろうか。そして、伏羲・女媧神話が元々苗族の伝承だったものならば、苗族の一部が中原にまで勢力を拡大し、夏王朝を創設したので、彼らの「'''部族創設神話'''」が、「'''夏の創設神話'''」にまで発展してしまったものだと考える。夏とは苗族の王朝だったのだろう。
=== 私的解説 ===