は、もしかしたら「父子」ではなくても良く、エトルリア式の「二主神制」が導入できればそれで良かったのではないだろうか。ただ、神々の関係をギリシア神話に寄せて構成したかったので、サートゥルヌスはユーピテルの父とされたのかもしれない、と思う。
「同じ名前で違う神」群を挙げてみる。彼の子音は「V+T+M(N)」だ。それはオーディン(北欧神話)、ウルスラグナ(イラン神話)、ヴァハグン(Vahagn、アルメニア神話)、ヴィシャップ(アルメニア神話)、ワステュルジ(カフカス・オセット族)、ヴァーユ(インド神話)、ヴァーユ・ヴァータ(Vayu」だ。それはオーディン(北欧神話)、ロキ・ロドゥル(Lóðurr)・ロプト(Lopt )(北欧神話)<ref>世界の神話百科、p507、アーサー・コットレル、原書房、1999</ref><ref>[https://www-tumblr-com.translate.goog/aboutnorsemythology/183478409041/some-references-and-thoughts-about-l%C3%B3%C3%B0urr-or-lopt?_x_tr_sl=en&_x_tr_tl=ja&_x_tr_hl=ja&_x_tr_pto=sc Some references and thoughts about Lóðurr or Lopt]</ref>、ランスロット(ブリテン)<ref>ロキがヴァーユの類名ならランスロットは? と考える。</ref>、ウルスラグナ(イラン神話)、ヴァハグン(Vahagn、アルメニア神話)、ヴィシャップ(アルメニア神話)、ワステュルジ(カフカス・オセット族)、ヴァーユ(インド神話)、ヴァーユ・ヴァータ(Vayu-Vata、イラン神話)、ヴリトラ(インド神話)、プリティヴィー(Pṛthivī、インド神話)、ピトリ(pitṛ、インド神話、ディヤウスと対になる「父」という言葉)、プリトゥ(Prithu、インド神話、プリティヴィーから名を取った王、プリティヴィーを追い回し、彼女を殺して穀物や乳を得ようとした。父の名をヴェーナ(Vena)という。)、ヴリトラハン(インドラの別名)、ヴァジュラ(インド神話)、ヴォーロスとヴェーレス(スラヴ神話)など。
とりあえず、「V+T+M(N)」と「V+T」の群を挙げてみる。これらの神々には共通点が多いように感じるからだ。ヴァーユはインド神話の「風の神」であり、日本には仏教と共に入ってきて「風神」とされる。彼には「叡智の神」としての側面があったと思われ、それが息子神のハヌマーンとして分離している。ヴァータはイラン神話の風の神である。ヴァーユは雷神インドラと密接に関連しており、その車には御者としてインドラ神も乗ることがあるという<ref>神の文化史事典p100</ref><ref>インド神話伝説辞典p66</ref>ヴリトラは「巨大な蛇の怪物」と言われ、水をせき止めて干ばつを起こしたため、インドラの持つ金剛杵(ヴァジュラ、雷を落とす杖)で退治される。インドラは「ヴリトラを倒した者」という意味で「ヴリトラハン」と名乗るようになったとのことだ。
ヴァハグン ー ヴィシャップ
嵐神プルリヤシュ ー イルルヤンカシュ (Illuyankas)
ゼウス ー テューポーン
アポローン ー ピュートーン
(シグルズ) ー ファーヴニル
ベーオウルフ1 ー 巨人グレンデルとその母親
ベーオウルフ2 ー ドラゴン(相打ち)
オーディン ー ヨルムンガンド
祝融とは中国神話の「火の神」だ。ただし、天から火を振らせたりできるので、彗星や雷の性質も含んでいるものと思われ、「'''天狗'''」の性質を持つ神といえる。ヴリトラは干ばつを起こす巨大な蛇、とされている。タクシャカはナーガラージャと呼ばれる「八匹の蛇の王」の一柱で、ジャナメージャヤ王の父親を殺したので、復讐されそうになる。危機一髪のところを、こちらはインドラに救われる。そして、この「」の性質を持つ神といえる。 インド神話のヴリトラは干ばつを起こす巨大な蛇、とされている。同じくインド神話のタクシャカはナーガラージャと呼ばれる「八匹の蛇の王」の一柱で、ジャナメージャヤ王の父親を殺したので、復讐されそうになる。危機一髪のところを、こちらはインドラに救われる。そして、この「'''祝融・共工型神話'''」を見ていくと「」を見ていくと全体に「'''ジャムシード王系'''」の名前が目立つ。」の名前が目立ち、'''単なる風神と蛇神の戦いではない印象を受ける'''。インドのジャナメージャヤ王は蛇神のタクシュカを追い詰める。イランのジャムシード王はアジ・ダハーカに殺されてしまう。 まず、ヴリトラの伝承とは別に、「'''ジャムシード王とタクシャカ系の蛇神が争った'''」という伝承があった、ということが分かる。でも、その結果はインドとイランでは異なる。イランでは、ジャムシード王が敗れたこととされ、ヴリトラハンに相当するフェリドゥーンがタクシャカ系の神を倒す。インド神話では、ジャムシード王系の王が勝っている。管理人が思うに、イラン系の伝承の方が古い形を残していて、それを二つに分けたい、と思うなにがしかの理由が生じたので、伝承を
まず、ヴリトラの伝承とは別に、「'''ジャムシード王とタクシャカ系の蛇神が争った'''」という伝承があった、ということが推察される。でも、その結果はインドとイランでは異なる。イランでは、ジャムシード王が敗れたこととされ、ヴリトラハンに相当するフェリドゥーンがタクシャカ系の神を倒す。インド神話では、ジャムシード王系の王が勝ったので、ヴリトラハンはヴリトラを倒す。管理人が思うに、イラン系の伝承の方が古い形を残していて、それを二つに分けたい、と思うなにがしかの理由が生じたので、伝承を「ヴリトラハン(ヴァーユまたはインドラ)対ヴリトラ」の話と、「ジャナメージャヤ対タクシャカ (Takṣaka) 」の話
「ヴリトラハン(ヴァーユまたはインドラ)・ヴリトラ」の話と、「ジャナメージャヤ・タクシャカ (Takṣaka) 」の話に分けてしまったのだと思う。インド・イラン系の共通神話の段階では、「'''ヴリトラハンに相当するフェリドゥーンがタクシャカ系の神を倒す'''」というイラン型の神話だったのだけれども、イラン系とインド系の2つに別れた後に、中国で「祝融・共工型」の神話が発生したので、それに併せて、インドでは神話を2つに分けてしまったのだと考える。「ヴリトラハン(ヴァーユまたはインドラ)対ヴリトラ」の神話はインド版の「祝融・共工型神話」といえる。ただし、ヴァーユ(Vāyu)とヴリトラ(Vṛtra)はよく似た名であって、ヴァーユ自身がヴァーユを倒す、という奇妙な内容になっている、と考える。おそらく「ヴリトラ」とは「タクシュカ」を置き換えた名だと考える。そうすれば、'''ヴァーユが倒したのはタクシュカだった'''、ということになる。
に分けてしまったのだと思う。インド・イラン系の共通神話の段階では、イラン型の神話だったのだけれども、イラン系とインド系の2つに別れた後に、中国で「祝融・共工型」の神話が発生したので、それに併せて、インドでは神話を2つに分けてしまったのだと考える。「ヴリトラハン(ヴァーユまたはインドラ)・ヴリトラ」の神話はインド版の「祝融・共工型神話」といえる。だから、元の神話はだから、元の神話は
「'''タクシュカがジャナメージャヤ王を倒し、そのタクシュカをヴリトラハン神(ヴァーユとインドラの前身か?)が倒した。'''」
という話だったのではないだろうか。でも、それがイランまで伝播しなかったのだろう。ということは、中国でもという話だったのではないだろうか。
'''「祝融・共工型」の神話の前に、「共工がジャムシード王に相当する王を倒した、その共工を祝融が倒した。」という伝承があった'''
のではないだろうか。その古い形式をイランの伝承は残しているのだと考える。なぜなら、ジャムシード王は、インドでは「ヤーマ」という神ともされ、この神は「一番最初に死んだ神」とされているからだ。ジャムシード王系の神は、北欧のユミル、ヨルムンガルドにしても、その多くが「'''死んだ神'''」とされている。しかも、「ヤーマ」の伝承では「'''人間だった'''」という但し書きまでつく。インドのジャナメージャヤ王だけが、「殺されない神」に変更された、と考える方が自然だ。のではないだろうか。その古い形式をイランの伝承は残しているのだと考える。ブリテンのベーオウルフの伝承も2部性になっている。ベーオウルフは巨人のグレンテルを倒し、その後ドラゴンと相打ちになっている。
だから、まず、余談だが、ニベルング族のシグルズは、竜蛇神としてはファーブニルを倒すが、人間のグンテルとは義兄弟になる。グンテルとグレンデルはインド神話の「'''インドラ'''」に相当する名前と考える。シグルズの名はヴァーユ系の名ではなく、メソポタミアのシャマシュ、フルリの太陽神シメギ(Shimegi)に近い名のように思う。もっと広く見れば、インド神話のスーリヤに近い名なのではないだろうか。英雄の名が「スーリヤ」に近いときは、インドラに似た名のグンテルと良好な関係なのに、ベーオウルフになると、巨人のグレンデルと対立するのは興味深い。ベーオウルフはパパイオスというスキタイの主神に近い名だと思う。すなわち、インド・イラン神話ではヴァルナに相当する。ヴァルナに近い名になると、インドラ(グレンデル)と対立的になるのは、アスラとデーヴァの対立関係と相関がある。シグルズの伝承がインド系よりの話とすれば、ベーオウルフはイラン系よりの話といえる。 そして、'''ヴァハグンやシグルズが倒したのも、本来は「タクシャカ系の神」だったのではないだろうか'''、と思うのだ。Wikipediaによれば、いわゆる「アーリア系」と呼ばれる人々が、と思う。Wikipediaによれば、いわゆる「アーリア系」と呼ばれる人々が
インド方面で確認できるのは'''紀元前2000年期'''とのことなので、その頃はまだイラン型の「'''2段階で神殺しが行われる'''」という伝承のみしか存在しなかったと思われる。
北欧神話の主神オーディンに顕著なのだが、オーディンは巨人ユミル(Ymir)を倒すし、大蛇のヨルムンガンド(Jörmungandr)と対峙する。ヨルムンガンドを倒すのは雷神トールなので、ヨルムンガンドの方は、ヴリトラを倒すインドラ、と構図が似ているのだけれども、こちらはジャムシード王と蛇神が習合してしまって伝承が大きく崩れているのが分かる。インド神話のヤマは、「死んだ」とはされているけれども、誰かに殺されたのかは明らかにされていない。なので、北欧神話は伝承の変形が著しい、といえる。そして、こんな逸話がある。また、こんな逸話がある。
バルドルとパトクロスは「'''ヴリトラ'''」、ヘズとヘクト-ルは「'''ヴァーユ'''」、ヴァーリとパリスは・・・「'''ヴァスキー?ベーオウルフ(ヴァルナ?)'''」
となる。伝承は大混乱だけれども、奇妙なモチーフだけ残っている例だと思う。「'''ヴァハグンは何を倒したのだろう?'''」ではなくて、しまいには「'''何がヴァハグンを倒したのだろう?'''」という衝撃の展開になる。これは、伝承も混乱しているのだけれども、'''ヴァーユ'''に相当する神が、実は「2人」だった、ということに原因があるのではないか、と管理人は考える。この2人がよく似た名前だったから、いっしょくたになってしまったのだ。では、元は何というお名前だったのでしょう? ということになる。
となる。伝承は大混乱だけれども、奇妙なモチーフだけ残っている例だと思う。これらの話ではヴァーユに相当するヘズとヘクトールはヴァルナに相当すると考えられるヴァーリとパリスに殺されてしまう。ここでもアスラとデーヴァの対立の構図が垣間見える気がする。
余談的だけれども、アキレウスとパリスは元は「同じもの」だったと考える。パリスはインド的にいえば、「'''「p」+スキ'''」という構成の名前なのだが、ここから「p」音を外したものが「アキレウス」なのだと思う。「'''p'''」音はインドでも、地中海周辺でも「'''水神'''」を表す言葉だ。だから'''「パリス」は「水+スキ」'''、'''アキレウスは単なる「スキ」'''という違いになる。しかも「'''スキ'''」という音もある意味「水」に関連する言葉から出ているので、どちらも「'''水神'''」を意味する名前なのだ。だから、結局、どちらに殺されたとしても、パリスとアキレウスは神話の上では、ほぼ「'''同一人物'''」なので、ヘクトールは結局「'''水神に殺された'''」ということになる。
何故、水神をパリスとアキレウスに分けたのかは分からない。でも、こういうややこしいことをしたことについてホメーロスに責任はない。パリスとアキレウスはインド・イラン共通時代にはすでに2つに分かれていたのだ。それを「'''ヴァスキー'''」と「'''アスラ'''」という。北欧神話のアキレウスは「'''アスク'''」であると考える。彼は最初に創造された人間の男性と考えられている。最初に創造された女性の名はエムブラという。こちらはカーマデーヌに近い名のように思う。ギリシア神話ではインド神話に似て、話は2つに分かれている。ゼウスがタクシュカに相当するテューポーンを倒し、アポローンがヴリトラに相当するピュートーンを倒す。
=== 逆から読もう ===
'''蛙(水(風雷雨)神)日月星(女神・技術・職人神) + 饕餮(火(雷)木土金神)= 蛙饕餮(五行神)蛙(水雷神 + 天空神(光))+ 饕餮(火雷神 + 酒木土金神 + 医薬神 + 冥界神(闇))= 日月星(女神・技術・職人神) + 蛙饕餮(日月星を支える世界の全て)'''
だったのだけれども、これを
'''蛙饕餮(五行神)>>> 蛇饕餮(五行神)と変換'''
'''蛇饕餮(五行神)蛙(水雷神 + 天空神(光)) - 蛇共工(水(風雷雨)神)(雷神 + 天空神(光)) = 饕餮(火(雷)木土金神)蛇(水神) と変換'''
'''蛙饕餮の一部(五行神のうち王権にとって都合の良い部分)+ 祝融(火の職能神)= 天帝(北斗神、星神)'''
蛙神から削除した「'''雷神 + 天空神(光)'''」を饕餮に振り分けて
に変えてしまったと思われる。蛙も饕餮も「雷神」としての性質は持っているが、蛙は「雨を降らす雷神」、饕餮は「稲妻と火をもたらす雷神」とされたのではないだろうか。
さほどメジャーではなかった'''祝融的な伝説上の存在に、火に関するものを中心として職能神(金属の精錬や木の加工技術の神)としての性質を与え、火神である祝融として纏めた饕餮(火雷神 + 酒木土金神 + 医薬神 + 冥界神(闇)) + (雷神 + 天空神(光)) = 新饕餮(雷神 + 天空神(光)+ 冥界神(闇)他 )'''と考える。自然や自然現象を敬って豊穣を願う思想から、自然にあるものを人間が役立てるように「加工する技術」を重んじるようになり、「技術の神」というものを新たに作ったといえる。ニンギジッタ的な神が古い「水神」であったとするならば、神に祈って安寧を得るのではなく、治水技術で水神の動きをコントロールすることを重要視するようになったのだろう。例えば、古代中国では伝説上の皇帝たちにとって、「治水」とは最重要の課題だったと語られることが多い。少なくとも、'''表面上は'''この宗教改革はこのように感じられるように思う。
ただし、後には北斗信仰の中には「北斗のひしゃく」である北斗七星が、「地上に水をもたらす」という考え方も発生したように思うので、技術を重んじるような現代的な合理的な考え方から見れば、これはかなりつじつまが合わない突飛な考えのようにも見える。水とは、湖や川や雲からもたらされるものではないだろうか。古代の人々にとって、何故雲が発生するのか科学的に理解できなくても、現象は理解できたはずだ。
だから、管理人はと作り替える。そして、'''祝融(火の職能神)日月月'''を重んじて、水神を悪神に変えたのには、何か「を「'''水神を悪神に変えなければいけない政治的な理由があったから祝融'''」だと考える。」と変換する。 日月星(女神・技術・職人神) >>> 祝融(男神・嘘・泥棒・変身・技術・職人神;武器を作る火神としての性質を強調) '''日月星 + 蛙饕餮(日月星を支える世界の全て) = 祝融(男神・嘘・泥棒・変身・技術・職人神;武器を作る火神としての性質を強調) + 蛇(水神) + 新饕餮(雷神 + 天空神(光)+ 冥界神(闇)他 )''' '''祝融(星 + 技術・職人神;世界は火による加工物と嘘と泥棒で支配すれば良い、とする神)= 天帝(北斗神、星神)''' となる。あとは、'''蛇(水神)''' が邪魔なら祝融に退治させてしまえばいいし、そのために蛇神だけ分離したのだし。そうすれば火による加工物が水を制す、すなわち古代の帝王たちが治水に成功する、という神話ができる。 さほどメジャーではなかった'''祝融的な伝説上の存在に、火に関するものを中心として職能神(金属の精錬や木の加工技術の神、嘘や泥棒や武器の神)としての性質を与え、火神である祝融として纏めた'''といえる。自然や自然現象を敬って豊穣を願う思想から、自然にあるものを人間が役立てるように「加工する技術」を重んじるようになり、「技術の神」というものを新たに作ったのだ。でも、この技術は人々の役に立つ技術ではなくて、ギリシア神話のゼウスが「人類の火」を憂えたように、'''滅ぼすため'''の技術だった。 それはともかく、天空神と冥界神が一緒になってしまったりとか、母系の時代は日月星が女神だったのに、それを無理矢理男神に変えてしまったりとか、色々と神話に矛盾が出てくるようになる。矛盾を解消したり、権力を一箇所に集めないため、もあるかと思うけれども、これまた神々の再編を行って、日神、月神、星神、嵐神、風神、雷神、医薬神、酒神と、必要に応じてどんどん神々を分け、増やしていく。そうすると、色々な神々が多数発生して、世界に拡散していき、特に日本神話なんかは「八百万」というくらい大量の神がいることになったのだろう。
=== なぜ蛙が登場するのか ===
中国ではどうだったかというと、黄河文明である仰韶文化(紀元前5000年~紀元前2700年)から、蛙と人を融合させたような人蛙文(じんあもん)を描いた彩陶が出土している。その一方で、墓から白虎と青竜図と思われるものが発掘されており、「竜」という概念がすでに浸透しだしており、仰韶では'''「水に関連する神」として蛙と蛇が両立していたと推測される「水に関連する神」として蛙と竜蛇が両立していたと推測される'''。また、長江側のナシ族には、「蛙の死体から五行が発生した」という盤古伝説のような伝説がある<ref>日本の神話伝説と中国雲南省納西族の神話伝説の諸問題を巡って、p20、1991、彭飛</ref>。その他「蛙が太陽を飲んだ」という伝承や「蛙が雷神の息子で人々を助けた。'''そして人は人を食う習慣を改めた。'''」という伝承がある。月に蝦蟇が住むという話も有名だから、古代中国では「蛙」とは単なる水神ではなく、天と人々の間の中間的な神としての性質もあったように思う<ref>中国の伝承曼荼羅、p135-137、百田弥栄子、1999、三弥井書店</ref>。'''時に蛙神にはギリシア神話のテーセウスに相当するような英雄的性質を有していたのではないだろうか。'''
更に、蛇神を竜神に変更して「蛇神は悪い神だ。」として、蛇神を信じていた人達を攻撃する口実にする。竜神の方だけは「王権の象徴として残す。」更に、蛇神を竜神に変更して「蛇神は悪い神だ。」として、蛇神を信じていた人達を攻撃する口実にする。竜神の方だけは残す。
とすれば、祝融はまさに「'''嘘つきと、武器製造を推進する火神'''」ということになる。」ということになる。もうこの段階になったら神は崇拝の対象ではなく、完全に政治の道具といえる。 長江文明で、まず蛙神の廃止が行われたのではないだろうか。そのため「五行」を作り出した重要な蛙神は消えてしまったけれども、黄河文明の側では仰韶文化の時代まで残ったのだろう。蛙神は蛇神に置き換えられたけれども、当初は性質はそのままで急に人身御供を求める神には移行できなかったかもしれない。 長江文明・大渓文化の城頭山遺跡(紀元前4500年頃)からは農耕儀礼に関したと思われる人骨が出土している<ref>長江文明の探求、梅原猛、安田喜憲共著、新思索社、2004、p88</ref>。 黄河文明の方では、仰韶文化半坡類型晩期(紀元前4080年頃~紀元前3790頃)に首狩りの風習があった、とのことだ<ref>[http://kohkosai.com/report.htm 好古斎]、[http://kohkosai.com/kaisetu/03-hanpa.htm 仰韶文化(B.C.5000~B.C.3000)]</ref>。この頃の墓からは竜と虎の図が発掘されており、竜が登場していたことが分かる。蛇神から竜神への図としての変遷は黄河文明の方が先行していたと思われる。ただし、長江文明では鶏が竜神とされたりしているので、当初の「竜神」というのはただ名前が「竜神」というだけで、現代人が考えるような「猪竜」から発展した蛇のような体を持つものではなかったかもしれない。とすれば、現代的な「竜神」の図は北の方で発生したが、概念は長江文明で発生した可能性はあるように思う。 === 蛙と虎 ===古代エジプトで蛙の神を「ヘケト」「クク」「フフ」という。似たような名前で
=== ネイト・エジプト神話 ===
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[[Category:ローマ神話]]