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[[饒速日命]](にぎはやひのみこと)との関連もあると言われる。また、瀬織津姫は[[天照大御神]]と関係があり、天照大神の[[荒魂|荒御魂]]('''撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめ)''')とされることもある。「西宮」の地名由来の大社である廣田神社(兵庫県西宮市)は、天照大神荒御魂を主祭神としているが、戦前の由緒書きには、'''瀬織津姫を主祭神とする'''ことが明確に記されていた。御神体の神鏡は、元は宮中の賢所に祀られていたのだが、武内宿禰・神功皇后の御代に [http://www.hirotahonsya.or.jp/yuisyopage/yuisyo_gosintoku.html 廣田神社へ遷した] ことが、廣田神社由緒書きに記されている。この時期に神社祭祀に大きな変更が加えられた可能性がある。天照大神との関わりは、謎が多い。
その他では宇治の橋姫神社では[[橋姫]]と習合(同一視)されている。<br />祇園祭鈴鹿山の御神体は鈴鹿権現として、能面をつけ、金の烏帽子をかぶり長刀と中啓を持つ瀬織津姫を祀る。伊勢の鈴鹿山で人々を苦しめる悪鬼を退治した祇園祭'''鈴鹿山の御神体は鈴鹿権現として、能面をつけ、金の烏帽子をかぶり長刀と中啓を持つ瀬織津姫'''を祀る。伊勢の鈴鹿山で人々を苦しめる悪鬼を退治した[[鈴鹿御前|鈴鹿権現]]の説話に基づく。
熊野神社を遡り調べると熊野権現は瀬織津姫なりという説がある。大和政権がエミシ征伐の際、熊野権現を守り神とし北へ向かった。制圧した後、気仙沼市唐桑町に瀬織津姫神社、熊野神社などが鎮座した。東日本大震災の津波により流されたが、現在は再建されている。

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