また、「[[キジも鳴かずば]]」には管理人が知る限り、1例だけ「泥棒の罪」で殺されたものがいる。「自己犠牲」の精神があって、かつ「泥棒の罪」で殺された者といえば、管理人は「'''イエス・キリスト'''」という言葉しか思い浮かばない。古代のカトリックによれば「父と息子と精霊」は「同じもの」とされていたように思うのだが、「死して蘇った大国主命」は彼の先祖の[[須佐之男命]]も同然である。すなわち「父と息子」は同じもの、として現されているし、大国主命の地上への復活は結婚と勝利を伴っており、どういうわけか「黙示録」というものと話の骨格が一致するように感じられる。
ともかく、大国主命の「死と復活」は、「大国主命の死」と「大国主命・[[須佐之男命]]が一体化した復活」と組み合わされており、復活した大国主命であるところの大物主命は[[須佐之男命]]も同然の「祟り神」とされている。これが中世になって民間伝承化すると「'''良い人が非業の死を遂げて祟り神になる'''」という話に縮められてしまい、老若男女を問わず「誰でも死んだら祟り神」化する傾向になってくる。元の話が「イエス・キリストの復活と再生」だったとしても、伝承は何だか一見して聖書の内容とは似ていない感じになってくる。
== 参考文献 ==