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『古事記』、『日本書紀』、『先代旧事本紀』のいずれにも父祖の記載はなく、系譜は不明である。
[[添御県坐神社 (奈良市三碓町)|添御県坐神社]](奈良市三碓3丁目)八木尚宏宮司が平成21年に同神社宮司着任時に氏子総代会長より地元の伝承として、下記の事を伝えられた<ref>『長髄彦』宮司が語る衝撃の事実, 神旅, 2024-02-23, https://www.youtube.com/watch?v=PXa6QH0oYs4, 2024-11-24</ref>(伊弉諾神社(生駒市上町)が上鳥見の、登彌神社(奈良市石木町)が下鳥見の、同社が中鳥見の、鎮守といわれている(伊弉諾神社(生駒市上町)が上鳥見の、登彌神社(奈良市石木町)が下鳥見の、同社が中鳥見の、鎮守といわれている<ref>添御縣坐神社本殿, 奈良県歴史文化資源データベース, 奈良県歴史文化資源データベース「いかす・なら」, https://www.pref.nara.jp/miryoku/ikasu-nara/bunkashigen/main10633.html, www.pref.nara.jp, 2024-12-06</ref>)。)。
* 神社の本当の祭神は、長髄彦である。地域の支配者長髄彦は侵略者イワレビコ(神武天皇即位前)に敗れて自決し、地元民が御霊を祀る祠をつくり、これが神社のはじまりである。

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