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830 バイト追加 、 2025年1月26日 (日)
'''エアリウム'''(Aerarium)は、 aes(「青銅、お金」)+ - ārium(「場所」)から成り、古代ローマで公の宝庫に付けられた名前だった<ref>Burton, 2012</ref>。二次的な意味では公的財政にも付けられた<ref name="EB1911">Aerarium1, page259</ref>。
フォロ・ロマーノのサートゥルヌス神殿には、ローマ共和国と初期ローマ帝国の国庫と文書館(aerarium)が収められていた。サートゥルヌス神殿は、ウァロ<ref>マルクス・テレンティウス・ヴァロ。リンガ・ラティーナ。 Ⅴ52.</ref>の記録した伝承によれば、カピトーリーヌスの丘の麓に位置し、以前はサトゥルニウス・モンスとして知られており、神殿の最後の再建からの列の柱が今も残っている。[ 6 ]神殿は紀元前497年に奉献されたが、サトゥルニの領域はトゥッルス・ホスティリウス王によって建設されたことが、E.ゲルスタッドによる考古学的研究で確認されている<ref>ミュラー、ハンス・フリードリヒ(2010年)。「土星」。オックスフォード古代ギリシャ・ローマ百科事典。オックスフォード大学出版局。222ページ。</ref>。 フォロ・ロマーノのサートゥルヌス神殿には、ローマ共和国と初期ローマ帝国の国庫と文書館(宝物庫、aerarium)が置かれていた。
ローマ人のメインのエアリウムは、カピトーリーヌスの丘のふもとにあるサートゥルヌス神殿の下にあるエアリウム・サンクティウス(aerarium Saturni)だった<ref>Burton, 2012</ref>。ローマ国家は、国庫とともに、ローマ法や元老院の法令を含む財政的および非財政的な国家文書をここに保管した。'''法律はここに預けられて初めて有効になった'''<ref>Burton, 2012</ref>。また、ローマ軍団の軍旗も保管されていた。共和政ローマ時代には、都市財務官が元老院の監督と管理の下でこれを管理していた<ref>Burton, 2012</ref>。古典共和政時代までに、元老院はここから資金を支出する独占的な権限を持っていた<ref>Crawford, 2006</ref>。

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