ところが、蛇頭松姫大神の「牛神」は「'''火の象徴'''」であって、水神である蛇女神に対抗する。伝承の前半で「おまつ」を人身御供的に池の中に引きずり込む若者も、おまつが水神であるが故に、「干ばつを起こす蛇神」と述べるしかない。要は「'''火の象徴'''」である。すなわち、「おまつ」は神話の前半で「干ばつを起こす蛇神」に魅入られて殺された女神であり、後半ではそれが姿を変えた「牛神」に再び殺される、という内容の話ができあがっている。この場合の「牛神」は炉姑(ルークー)神の「鉄牛」に「'''火の象徴'''」が習合したような神となっている。石見の[[八束水臣津野命]]に代表されるような'''「良き水神」は登場しない'''。
「火の神」と対立して殺される「水神女神」の神話の起源は古く、広く拡散しているが、一番近しい類話は「[[相柳]]」の話かと思う。
本伝承では、竹野神社の[[天照大御神]]のように、人身御供の娘の処遇に明確に介在する女神は登場しない。「松姫」はその名の通り「松」の象徴でもあって、彼女が死ぬと松の木も生えなくなってしまう。飛鳥(奈良県大和郡山市筒井町)には鍛冶に関連して、[[伊豆能売]]という女神が「松の木を生やした」とされる伝承がある。[[伊豆能売]]のように、松の木を枯らす(殺す)も生やす(生かす)も管轄する「上位の女神」が本来の伝承には存在したかもしれない、と考える。