この女神は雨乞いにも関連しているように思う。臼道祖神(臼道祖神社)の「神体を水底に沈める」という祭祀は、やはり人身御供の祭祀の名残であると考える。この辺りには、雨乞いに関して人を縛って川に投げ込んだ、という伝承もある。雨乞いあるいは水に関する祭祀は、近隣の雨宮坐日吉神社(長野県千曲市雨宮)の「雨宮の御神事」とも関連するように思う。個人的には
縛った瞳国の頭を川に水につけたり引き上げたりしてさんざん苦しめたあげく溺死させた。縛った人身御供の頭を川に水につけたり引き上げたりしてさんざん苦しめたあげく溺死させた。
という悪辣な祭祀が行われていたのではないかと思う。群馬県の赤城大明神縁起に、信濃国の「更科五郎とその姉」という悪神が出てくるのだが、更科五郎はそのような悪事を働いて人々を殺したので、しまいには自分が同じ方法で殺された、とも解せるのではないか、という内容である([[意岐萩神]]、参照のこと)。少なくとも、この性格が悪くて、最後に姥捨山に捨てられてしまう「姉」とは会津比売神のことではないか、と思う。