差分

ナビゲーションに移動 検索に移動
967 バイト追加 、 2025年2月2日 (日)
<blockquote>道祖神は村の入口、部落の境などの路傍に立っている。自然石のまま、あるいは台石の上の棹に道祖神と刻まれたものが多い。そして賽の神といわれるように、悪霊や邪悪の村への侵入を防ぎ、道行く人を守る神である。また、近在では正月、道祖神の前でドンド焼が執り行われるのが普通である。<br>
峰・姨捨・郡方面から下る道筋のこの辻の道祖神は、自然石で臼を台座としているが、臼は女性の代名詞で、その上に道祖神が乗り陰陽をあらわしている、との見方もある。流造りの社殿に安置され、鳥居まである特異な道祖神である。したがって臼道祖神と呼ばれ、臼道祖神社として崇敬される理由であろう。<br>
祭日は九月二十四日で、子供相撲が公民館の庭でひき続き実施されている。なお、大頭祭の際には武水別神社へ向う頭人は拝礼し、干魃の夏には雨乞の人びとによって、御本尊の道祖神は'''川底へ沈座'''された。かつては八月一日に、虫送りの行事もあったという。(略)</blockquote> === 斎森神社 ===長野県千曲市八幡にある神社。祭神は[[建御名方神]]か。境内由緒は以下の通り。<blockquote>この斎の森神社の歴史は鎌倉時代、およそ七〇〇年ほど前に建立されたといわれ、中世以降は諏訪大明神といわれた。東山道信濃路の峠(諸説あるが一本松峠であると思われる)を下って、川中島平に入る入口を守る神(塞いの森)として、また、武水別神社に対して先の森であったといわれている。<br>この地積は八日市場と称され、八幡宮(武水別神社)を遙かに拝む交通上の要所であった。八の日に市が定期的に開催されたのは鎌倉時代からであろうか。これより先の郡下の年貢を、遠路木曽路を越えて、大和の国まで運ぶ交易(米や絹などを金銭にかえて上納)の場であったといわれている。
</blockquote>

案内メニュー