その一方で、「黒彦王が皇位争いに敗れた」という伝承がある。当地が信濃金刺氏の拠点であることを考えれば、「皇位争いに敗れた」というよりは「皇位を譲った」皇子として綏靖天皇の兄である[[神八井耳命]](信濃金刺氏の祖神)が思いあたる。当地に落ち着いた「黒彦」とは、「[[神八井耳命]]」を意識したものではないか、と思う。「狩りや漁が得意」という点は戦争にも長けていた、と受けとれる。とすれば黒彦神社の祭神に倭伊波礼彦命がいうのも納得できる。彼は[[神八井耳命]]の父神である。このように考えれば「白彦」とは[[神八井耳命]]と対立した手研耳命のこと、といえるのではないだろうか。
『古事記』では、タギシミミは未亡人となった媛蹈鞴五十鈴媛(ヒメタタライスズヒメ)を自らの妻とし、神武天皇とヒメタタライスズヒメのあいだに生まれた嫡子である皇子たちを暗殺しようとする<ref name="読み解き事典-多芸志美美">『日本の神様読み解き事典』p152-153「多芸志美美命/手研耳命」</ref><ref name="学研2015">『古事記と日本の神々がわかる本』p90-91「イスケヨリヒメの物語」</ref><ref name="歴代天皇紀-綏靖">『図説 歴代天皇紀』p42-43「綏靖天皇」</ref>。これを察したヒメタタライスズヒメは、子供たちに身の危険を知らせるために和歌を2首詠んで送ったという<ref name="学研2015"/><ref name="ヒメたち98">『神話の中のヒメたち もうひとつの古事記』p98-101「歌で御子救った初代皇后」」</ref><ref>『古事記』「天皇崩後、其庶兄當藝志美美命、娶其嫡后伊須気持余理比売之時、將殺其三弟而謀之間、其御祖伊須気持余理比売之患苦而、以歌令知其御子等」</ref>。
== 私的解説 ==