祭神は天道日女命、大山祇命。
<blockquote>当社は元は一村であった「堂奥村」「多聞院村」両村の氏神であったとされる。「多聞院村」には天蔵神社(祭神は天道日女命の子神・天香語山命)が鎮座する。<br>当地は天道日女命が老後に暮らしたとされる。「勘注系図」には「天道姫命 亦たの名 '''屋乎止女命'''(ヤヲトメノミコト)、亦たの名 '''高光日女'''たこひめ命(タコヒメノミコト)、亦たの名 '''祖母命'''也」とある。<br>「丹後國風土記」残闕の「高橋郷 本字高梯」に以下のようにある。『「高橋郷」と名付けられた所以は、天香語山命が「倉部山」山頂に神庫(ほくら)を造り種々の神宝を収蔵し、長梯を掛けていたので「高梯」と云う。峰(倉部山)の頂に天蔵と称する神祠があり天香語山命を祭る。またその山口●●国に祠があって祖母祠と称する。この国に天道日女命と称する者があって、歳老いて此の地に来居まして、'''麻を績ぎ蚕を養ひ'''、人民に衣を製する道を教えたので山口坐御衣知祖母(やまぐちにますみそしりそぼ)祠と云ふ也』<ref>[https://ameblo.jp/keith4862/entry-12608762968.html 山口神社 (舞鶴市堂奥)(改定)]、かむながらのみち ~天地悠久~(最終閲覧日:24-12-22)</ref></blockquote>
=== 日尾池姫神社・舞鶴市与保呂 ===
祭神は、天日尾神、国日尾神、天月尾神、'''国月尾神'''。式内社・笶原神社の論社か。「丹哥府志」に「笶原神社は'''今池姫大明神'''と称す」と、あるとのこと。(舞鶴市紺屋にある笶原神社の祭神は天照大神、豊受大神、月夜見神である。)'''蛇頭松姫大神'''の祠がある<ref>[http://www.norichan.jp/jinja/renai2/hioike_douta_omori.htm 日尾池姫神社 堂田神社 彌加宜神社(大森神社)]、のりちゃんず(最終閲覧日:24-12-22)</ref>。
「丹後国風土記」残闕には、
<blockquote>豊宇気大神の教えに依り伊去奈子嶽に天降った天村雲命が、豊宇気大神を祀ろうとしたが、泥水で神饌を炊くことができなかった。ここは豊宇気大神の坐します国であるから、清地を定めて大神を斎い奉らなければならないと言って母の'''天道姫命'''(天道日女命)が子の天香語山命に'''矢を授けた'''。そして矢を放ち留まったところが清き地である大神の神託があった。その矢は矢原山に到ったので、神籬を立てて豊宇気大神を遷し墾田を定めた(大意)<ref>[https://ameblo.jp/keith4862/entry-12608819012.html 日尾池姫神社]、かむながらのみち ~天地悠久~(最終閲覧日:24-12-22)</ref><ref>[https://ameblo.jp/keith4862/entry-12446037500.html 笶原神社 (改訂)]、かむながらのみち ~天地悠久~(最終閲覧日:24-12-22)</ref></blockquote>
とあるとのこと。
==== 私的考察 ====
天日尾神:天照大御神・天道姫命、(国日尾神:天火明神)、天月尾神:月夜見神・天香語山命、国月尾神:豊受大神として良いかと思う。天火明神は物部氏の饒速日尊と解している。国日尾神と天月尾神は同じ神として差し支えないのだが、敢えて太陽女神を月夜見神の上位(姉ではなく母親)としているところが海部氏のこだわりであろうか。豊受大神の夫神が天香語山命と想定されているのであれば、籠神社の奥宮である真名井神社の境内に天香語山命の石碑があるのも納得がいく。(確か昔見た記憶がある。)ということは、浦島太郎も暗に天香語山命である、という意図があるのだろうか。そして池とは地面にあるものなので、'''今池姫'''とは'''豊受大神'''のことなのだと考える。
=== 蛇切岩神社・舞鶴市字与保呂 ===