しかし、近代版では理不尽にも浦島の結末は短く竜宮で楽しんだ後は老人となってしまう。結果的に自身が不幸に陥ることになるので、報恩といえるかどうか、疑問視もされ<ref name="takada"/>、「アンチ報恩譚」とのレッテルを張る論文すらある<ref name="mukasa">武笠俊一<!--Mukasa Shunichi--> 本山桂川, 玉匣から玉手箱へ : 浦島伝承史考(The homecoming of Tarow Urashima ), 人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要, volume25, 2007, https://hdl.handle.net/10076/9716, p75-84</ref><!--ノートに書いた通り、武笠論文には概して懐疑的な意見も見える。-->。<ref>要出典範囲:お伽噺として理不尽で不合理な教訓をもたらすことになっているのではないかというものだ, 2017年10月, 永井俊哉 (2017)PHP書籍『浦島伝説の謎を解く』で引いているので当面は残そうかと。</ref>。また古い浦島子伝説では報恩の要素は見いだせないとされる<ref>柳田, 1971, p50</ref>。
中世(『[[#御伽草子|御伽草子]]』、後述)の場合は、主人公が単に老化してあるいは死んで終わるのではなく、鶴と化して「めでたき」結末となっている{{sfnp|中世(『御伽草子』、後述)の場合は、主人公が単に老化してあるいは死んで終わるのではなく、鶴と化して「めでたき」結末となっている<ref>牧野|, 1980|p=129}}, p129</ref>ので、より報恩譚として成立する。これについては逆に、亀の放生を行った程度で容易に無限の宝を得られるでは釣り合わない、との批判がみられる{{Refn|<ref>日高昭二(1991)、「『御伽草紙』論―心性としてのテクスト」、国文学</ref><ref name="takada"/>。}}。鶴になる結末は何を伝えたいのかわからないとの向きもある<ref name="trivia" />。 [[精神分析学]]の[[岸田秀]]は、浦島が亀<ref group="注">岸田によれば[[ペニス]]のメタファーである。</ref>に乗って入る、時の流れのない楽園である竜宮城を、[[抑圧 (心理学)|抑圧]]も欲望の不満もない[[子宮]]の[[メタファー]]とし、軽率に竜宮城を出た浦島が玉手箱を開けることで時間の中に組み込まれる物語は、[[性欲#精神分析学における性的欲求|性的欲望]]に仮託した子宮復帰願望の物語であり、何の不安もなかった幼い日々を失った嘆きの物語と解釈した<ref>[[岸田秀]]『ものぐさ精神分析』 青土社 1978年 第6版 pp.196-198.</ref>。
=== 竜宮 ===