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26 バイト除去 、 2022年11月22日 (火) 19:36
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現在欧米諸国では多くの犬が家族同然に飼われている。日本では5世帯に1世帯がイヌを飼っているといわれている。イスラム圏では(牧羊犬以外では)イヌが飼われることは少ない。
====イヌの文化的印象====
イランでは犬をペットとして愛玩する人が増えているのに対して、イスラム保守派が「西洋化の象徴」と批判している<ref>[http://www.asahi.com/articles/DA3S13110312.html 【世界発2017】イラン、犬はタブー?友達?イスラム教では忌避するが…ペットで人気]『朝日新聞』朝刊2017年8月31日</ref>。
「人間の最良の友 (Man's best friend)」と言われるように、飼い主やその家族に忠実なところはプラスイメージが強い。近代日本では忠犬ハチ公の逸話が多くの国民に愛されたほか、江戸時代以前にも主人の危機を救おうとした伝説・民話も多い(秋田県大館市の老犬神社など)。他方、東西の諺や、日本語にある「犬死に」「犬侍」「犬じもの」「負け犬」といったネガティブ成語・熟語に使われることも多い。また、忠実さを逆手にとって、権力や体制側に順従に従っている人物や特定の事物(思想や団体・有名人など)を盲目的に支持・信奉する人物や、スパイの意味でも、人間以下であるという意味でも「犬」が用いられる。また「雌犬」は女性への侮辱語として使われる。植物の和名では、イヌタデ、イヌビエ(Echinochloa)など、本来その名をもつ有用な植物と似て非なるものを指すのにしばしば用いられる。
フィクションにおいて、戦いを求めてやまない[[キャラクター]]に対する綽名としてよく使われる「狂犬」は、畏怖と侮蔑の両方を孕んだ表現である。フィクションにおいて、戦いを求めてやまないキャラクターに対する綽名としてよく使われる「狂犬」は、畏怖と侮蔑の両方を孕んだ表現である。
=== 日本におけるイヌの歴史 ===
==== 先史時代 ====
日本列島における犬の詳細な起源は不明であるが、大陸より家畜化された犬を飼う習慣がもたらされたと考えられている。[[縄文時代]]早期からの遺跡から犬([[縄文犬]])が出土しており、その一部は[[埋葬]]された状態で発見されているが、多数例は散乱状態で出ており、家族の一員として飼われた犬と、そうでない犬がいたと考えられる{{Sfn|日本列島における犬の詳細な起源は不明であるが、大陸より家畜化された犬を飼う習慣がもたらされたと考えられている。縄文時代早期からの遺跡から犬(縄文犬)が出土しており、その一部は埋葬された状態で発見されているが、多数例は散乱状態で出ており、家族の一員として飼われた犬と、そうでない犬がいたと考えられる<ref>松井|, 2005|p=184}}。縄文早期から中期には[[体高]]45センチメートル前後の[[中型犬]]、縄文後期には体高40センチメートル前後の[[小型犬]]に変化しており、これは日本列島で長く飼育されたことによる[[島嶼化]]現象と考えられている, p184</ref>。縄文早期から中期には体高45センチメートル前後の中型犬、縄文後期には体高40センチメートル前後の小型犬に変化しており、これは日本列島で長く飼育されたことによる島嶼化現象と考えられている<ref>西本豊弘「イヌと日本人」西本豊弘編『人と動物の日本史1 動物の考古学』吉川弘文館、2008年</ref>。
なお、1990年代に縄文人と犬との関係の定説に再考を迫る発見があった。[[霞ヶ浦]]沿岸の[[茨城県]][[麻生町]](現[[行方市]])で[[発掘調査]]された縄文中期から後期の[[於下貝塚]]より、犬の各部位の骨が散乱した状態で出土した。犬の上腕骨1点に、解体痕の可能性が高い切痕が確認された。調査報告では、犬を食用として解体していた物的証拠と評価されており、[[日本列島]]における犬食の起源がさらに遡る可能性が高い<ref>[[袁靖]]「哺乳綱」、麻生町教育委員会編『於下貝塚 発掘調査報告書』1992年、154〜183頁。</ref><ref>[[袁靖]]・[[加藤晋平]]「茨城県於下貝塚出土の小型動物の切痕(英文)」『千葉県立中央博物館研究報告 人文科学』2巻2号、1993年。</ref>。

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