== 概要 ==
『記』の記述には、神武天皇が東征のおり、熊野から吉野(大和)へ入り、[[贄持之子]]の次に出会った神とされ、光る井から出て来た上に、尾]ある人(有尾人)であったとしている(『紀』では、「光りて尾あり」と記述されるのみ)。天皇がお前は誰かと問うと、「私は国津神で、名を井氷鹿」と答え、吉野首等(よしののおびとら)の祖なりと記される。の次に出会った神とされ、光る井から出て来た上に、尾ある人(有尾人)であったとしている(『紀』では、「光りて尾あり」と記述されるのみ)。天皇がお前は誰かと問うと、「私は国津神で、名を井氷鹿」と答え、吉野首等(よしののおびとら)の祖なりと記される。
ここでいう井とは後世でいうような地中を掘った井戸ではなく、川岸に桁(木を井の字形に組んだもの)を出したものとみられ、「井氷鹿が井から出て来た」とは、「'''川から上がって来た'''」といった意味と考えられる<ref>川口謙二 『東京美術選書23 続神々の系図』 東京美術 初版第8刷1996年 ISBN 4-8087-0062-X p.27.</ref>(『記』の場合、「光る川」という意味になる)。