『古語拾遺』(大同2年(807年)成立)<ref group="原">『古語拾遺』(安房坐神社(神道・神社史料集成)参照)。</ref>や『先代旧事本紀』<ref group="原">『先代旧事本紀』「天皇本紀」。</ref>の説話によれば、忌部氏遠祖の[[天富命]](天太玉命の孫)は各地の斎部を率いて種々の祭祀具を作っていたが、さらに良い土地を求めようと阿波の斎部を率いて東に赴き、そこに麻・穀(カジノキ)を植えたという<ref>千葉県の歴史 通史編 古代2, 2001年, p604-612</ref><ref>千葉県の歴史(山川), 2012年, p33-35</ref>。
同書では続けて、[[天富命]]が植えた麻が良く育ったのでその地を「[[総国]](ふさのくに)」というようになり、また穀の木が育った地を「[[結城郡]]」というようになったとし{{sub|(分注に、麻は「総(ふさ)」の古語とし、また[[上総国]]・[[下総国]]の2国がこれにあたるとする)}}、阿波斎部が移住した地は「[[安房郡]]」と名付けられたとする{{sub|(分注に、これが[[安房国]]の国名になったとする)}}。また、同地には「太玉命社」を建てられ、これが「安房社」(現在の[[安房神社]]([[千葉県]][[館山市]])に比定)にあたり、その[[神戸 (民戸)|神戸]](神社付属の民戸)には斎部氏があるとも伝えている{{Sfn|が植えた麻が良く育ったのでその地を「総国(ふさのくに)」というようになり、また穀の木が育った地を「結城郡」というようになったとし<ref>(分注に、麻は「総(ふさ)」の古語とし、また上総国・下総国の2国がこれにあたるとする)</ref>、阿波斎部が移住した地は「安房郡」と名付けられたとする<ref>(分注に、これが安房国の国名になったとする)</ref>。また、同地には「太玉命社」を建てられ、これが「安房社」(現在の安房神社(千葉県館山市)に比定)にあたり、その神戸(神社付属の民戸)には斎部氏があるとも伝えている<ref>千葉県の歴史 通史編 古代2|, 2001年|pp=604, p604-612}}{{Sfn|</ref><ref>千葉県の歴史(山川)|, 2012年|pp=33, p33-35}}</ref>。
=== 考証 ===