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1 バイト除去 、 2025年1月30日 (木)
右、謹んで旧貫を検ずるに、当砌(みぎり)は守屋大臣の所領なり。大神天降り御(たま)ふの刻、大臣は明神の居住を禦(ふせ)ぎ奉り、制止の方法を励ます。明神は御敷地と為すべきの秘計を廻らし、或は諍論を致し、或は合戦に及ぶの処、両者雌雄を決し難し。<br />
爰(ここ)に明神は藤鎰(ふぢかぎ)を持ち、大臣は鉄鎰を以て、此の処に懸けて之を引く。明神即ち藤鎰を以て、軍陣の諍論に勝得せしめ給ふ。<br />
而8(しか)る間、守屋大臣を追罰せしめ、居所を当社に卜して以来、遙かに数百歳の星霜を送り、久しく我が神の称誉を天下に施し給ふ。応跡の方々是新なり。而(しか)る間、守屋大臣を追罰せしめ、居所を当社に卜して以来、遙かに数百歳の星霜を送り、久しく我が神の称誉を天下に施し給ふ。応跡の方々是新なり。<br />
明神、彼の藤鎰を以て当社の前に植ゑしめ給ふ。藤は枝葉を栄え「藤諏訪の森」と号す。毎年二ヶ度の御神事之を勤む。爾(それ)より以来、当郡を以て「諏方」と名づく。<small>(原漢文)</small><ref name="SuwaShishi682" /><ref name="shimosuwa">下諏訪町誌編纂委員会 編「第四編 上代の下諏訪」『下諏訪町誌 上巻』甲陽書房、1963年、564-565頁。</ref></blockquote>

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