# 火吹(ひふき)が訛った部。雄略天皇3年4月に廬城部連枳莒喩と'''武彦'''親子の名があり<ref>『日本書紀』雄略天皇3年4月条</ref>、武彦(たけひこ)は湯人(ゆえ)として朝廷に仕えていたわけことから湯を扱う下級官吏として、火吹部とする。分布状態からすると大規模過ぎる点が難である。
なお、五百木部と伊福部は混同されがちであるが、本来は名代の五百木部と鍛冶部の伊福部とは別物であったと考えられる<ref>[[宝賀寿男]]「宝賀寿男「[http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/keihu/monobekz/monobek1.htm 「天孫本紀」物部氏系譜の検討]」『古樹紀之房間』、2008年。</ref>。
中央の伴造には、「伊福部連」があり、[[天武天皇]]13年12年[[宿禰]][[カバネ|姓]]を賜っている中央の伴造には、「伊福部連」があり、天武天皇13年12年宿禰姓を賜っている<ref>『日本書紀』天武天皇13年12月2日条</ref>。『[[新撰姓氏録]]』「左京神別」・「[[大和国]]神別」には「伊福部宿禰」を載せ、尾張連と同祖、。『新撰姓氏録』「左京神別」・「大和国神別」には「伊福部宿禰」を載せ、尾張連と同祖、[[火明命]]の後とする。「[[河内国]]神別」には「五百木部連」もある。の後とする。「河内国神別」には「五百木部連」もある。
宮城十二門の一つ、[[殷富門]](いんぷもん)の名前の由来にもなっている。伊福部の伴造氏は、連のほかに、[[臣]]・[[キミ (カバネ)宮城十二門の一つ、殷富門(いんぷもん)の名前の由来にもなっている。伊福部の伴造氏は、連のほかに、臣・君・|君]]・[[キミ (カバネ)|公]]などがあり、一族には「[[直 (姓)|直]]」・[[首 (姓)|首]]・君姓のものも存在した。公などがあり、一族には「直」・首・君姓のものも存在した。
== 概要・因幡氏 ==