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190 バイト除去 、 2025年1月22日 (水)
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== 私的考察 ==
伊勢津彦は信濃国に去った、と言われているので建御名方命の神話との類似性から、建御名方命のこととして良いと考える。
 
 
伊勢津彦命の信濃国鎮座の件は、神名を「天櫛玉命」として、長野市信州新町日原西にある'''日置神社'''とするのが一番正確ではないか、と思う。[[日置氏]]は[[葛城国造|葛木氏]]と近い氏族と思われ、鴨氏とも近い氏族と思われる。伊勢津彦を祖神と考える向きがあったのではないか。
伊勢津彦は伊賀では、'''阿倍志彦'''という阿閇氏(敢氏/阿閉氏)(大彦命の子孫)と対立したとされる。長野県の北信では、犀川を挟んで西側の水内郡などに日置神社、東側に布施氏(大彦命の子孫)の勢力範囲があったため、日置氏と大彦命系氏族との何らかの対立、あるいは棲み分けを投影している伝承かもしれないと考えると興味深い。
 
ただし、長野県で伊勢津彦(天櫛玉命)を祀ったのは日置氏だけでなく、'''水内郡金刺氏'''も可能性があるように思う。色々と別名があるが、[[志那都比古神]]とほぼ同じ神で、別名としても良いのではないか、と考える(「'''[[風間神社]]'''」の項も参照のこと。)。
== 祀る神社 ==

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