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970 バイト追加 、 2024年12月31日 (火) 11:56
== 私的考察 ==
弥加宜神社のみ、鍛冶に関して、何か人身御供の祭祀があったことを感じさせる。日本の蛇神は「金物に弱い」と言われるが、それはこの神話が'''原型'''となっており、農耕祭祀的な人身御供に関する話に、「'''鍛冶に関する人身御供'''」の話が混在した結果なのではないだろうか。「殺される女神」を3分割して「行き着く先」を3カ所に設定しているのは、日尾池姫神社・堂田神社の'''治水'''に関する人身御供の話と、弥加宜神社の'''鍛冶'''に関する人身御供の話を一つにまとめるためだったのではないだろうか。特に弥加宜神社には鍛冶に関する神が祀られているので、話を作った人々にとっても、「'''鍛冶の人身御供にも関する話'''」だという自覚はあったと思われる。日本の「'''退治される蛇神'''」は金属に弱いものが多いが、それは'''蛇頭松姫大神'''の話が起源にあって、鍛冶に関連する話でもあったものから発生したものではないだろうか。'''金属が蛇神の犠牲の上に生み出されたもの'''、とされたことの名残であろう。
 
伝承の後半で登場する「火牛」は、炉姑(ルークー)神の「鉄牛」が原型の一つとしてあるように思う。どんな火にも溶けない「鉄牛」は「火」に対抗する「土」の象徴であって、[[黄帝型神]]である。[[石見天豊足柄姫命]]神話の[[八束水臣津野命]]に相当する。
 
ところが、蛇頭松姫大神の「牛神」は「'''火の象徴'''」であって、水神である蛇女神に対抗する。伝承の前半で「おまつ」を人身御供的に池の中に引きずり込む若者も、おまつが水神であるが故に、「干ばつを起こす蛇神」と述べるしかない。要は「'''火の象徴'''」である。すなわち、「おまつ」は神話の前半で「干ばつを起こす蛇神」に魅入られて殺された女神であり、後半では姿を変えた「牛神」に再び殺される、という内容の話ができあがっている。
== 関連項目 ==

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