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明治期にはいくつかの英訳<ref>さきがけてウィリアム・グリフィスが1876年に物語を紹介しているが(牧野, 1989, p122-121)、1880年の説話集には欠けている(龍宮関連では「くらげ骨なし(猿の生肝)」や磯良の神が宝珠を仁神功皇后に貸し与える説話を収録する)。片岡政行の英訳(1886年)が挿絵付きでロンドンの雑誌に掲載されたのはチェンバレン訳と同年である(牧野, 1989, p121)</ref><ref name="kataoka-tr"/><ref name="hayashi2009-kataoka-tr"/><ref name="griffis1876"/>。やドイツ訳がなされている<ref>フェルディナント・アダルベルト・ユンケルの『扶桑茶話』のドイツ訳「漁夫浦島」(1884年)がある。</ref><ref name="junker-tr"/><ref>牧野, 1989, p121</ref><ref>またダーフィト・ブラウンスのドイツ訳(1885年)があり、アンドルー・ラング『ももいろの童話集』所収の浦島太郎の原典となっている</ref><ref name="brauns-tr"/>。
[[バジル・ホール・チェンバレン]]英訳バジル・ホール・チェンバレン英訳''The Fisher-Boy Urashima''([[1886年]])は、『日本昔噺』([[ちりめん本]])シリーズの一篇として[[長谷川武次郎]]により刊行された(挿絵は無銘だが[[小林永濯]]の作とされる)(1886年)は、『日本昔噺』(ちりめん本)シリーズの一篇として長谷川武次郎により刊行された(挿絵は無銘だが小林永濯の作とされる)<ref name="kyoto-u-foreign-studies"/>{{Refn|group="注"|[[宮尾与男]]の編注対訳本に、逆邦訳された日本語テキストも掲載{{sfnp|宮尾|<ref>宮尾与男の編注対訳本に、逆邦訳された日本語テキストも掲載(宮尾, 2009|pp=25ff, 301ff }}。}}p25ff, 301ff)</ref>。チェンバレン訳は、記紀・丹後国風土記・万葉集など古典の設定を取り入れた混成話であり{{sfnp|<ref>牧野|, 1989|pp=130, pp130-129}}</ref>、龍宮は海中でなく海を遠く隔た離島にあるとし<!--Dragon Palace beyond the blue sea-->{{sfnp|<ref>Chamberlain|, 1886}}</ref>、二人して船を漕いで到達する設定になっている{{sfnp|<ref>宮尾|, 2009|p=34}}, p34</ref>
1897年には[[小泉八雲|ラフカディオ・ハーン]]の「{{仮リンク|夏の日の夢 (小泉八雲)|en|The Dream of a Summer Day|label=夏の日の夢}}」(『東の国から Out of the East』所収)によっても紹介されている<ref name="榮谷温子" />{{sfnp|牧野|1989|pp=137-136}}。

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