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23 バイト除去 、 2024年12月11日 (水) 21:01
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亀を漁師の浦島が助けてやるという発端は、中世(御伽草紙)にくわわるが、亀はすなわち竜宮の姫のままであり、自分が救われた理由で夫婦になる<ref>下澤, 1980, p30-34</ref><ref>大内, 2002, p21-22</ref>。動物報恩譚の様相をとるともされる<ref>下澤, 1980, p31</ref><ref>大内, 2002, p22</ref>。
古代・中世とも浦島と姫は船で異郷にたどりつく<ref>下澤, 1980, p32-33</ref>。しかし江戸時代、浦島が亀の上に乗って竜宮に行き来するのが図像化される。その嚆矢は17世紀末(元禄時代)頃とも18世紀半ばともされる<ref>18世紀半ばの説が、阪口保『浦島説話の研究』、新元社、1955年にみえる</ref><ref>下澤, 1980, loc:p.33, 注20</ref>。亀に乗る浦島図は、多くの草双紙などに描かれようになったが<ref>林, 2019</ref>、相変わらず竜宮が波上に描かれるのも一般的であった<ref>林, 2001</ref>。厳密には一般的な定番というより、亀の上に立って乗る図がみられるなかで<ref>林, 2001, p41-43</ref>、多くは竜宮が波の上に浮かぶように描かれる、とする<ref>林, 2001, p44</ref>。<!--が、まわりくどくなるのでおおまかに述べた。-->}}。明治の赤本絵本(1880年代)や<ref name="akahon-text"/>月岡芳年の「漫画」(1886年)では、海上の楼閣に見えるが、詳述がない<ref>月岡芳年, 浦嶋之子歸國従龍宮城之圖, 芳年漫画, 小林鉄次郎, 1886</red><ref name="yoshitoshi-manga1886-scripps"/>(2枚刷り。立命館大学蔵は左葉のみである。)</ref>。
既述の比較論文では、近代版の標準テキストとしては大正期の絵本と、昭和期の教科書(読本)であり、これらでは竜宮ははっきりと海中にもぐって到達する場所とされる<ref>下澤, 1980, p33</ref><ref>森林太郎他編『標準於伽文庫』、1920-1921では、"海の中"にあり(p.8)、亀は浦島を背負って"ずんずん水の中へ入って"いった(p.10)。挿絵も水底に竜宮がみえる構図である</ref><ref name="urashimataro-mori-etal1920"/>。
近代版における、乗物と化した亀はもはや姫の化身ではなくなり、亀は姫の"眷族"と呼ばれる<ref name="akahon-text"/>。姫その下僕を救われた恩返しに、蛸や魚などの踊り子にも命じて、浦島をもてなすが、夫婦にはならない{{sfnp|<ref>下澤|, 1980|p=32}}, p32</ref>。助けられた亀についても、報恩譚が成立するといえなくもないが、単に交通手段として浦島を送り迎えするだけの恩返しにとどまるのである{{sfnp|<ref>下澤|, 1980|p=32}}, p32</ref>
== その他の近代版 ==
 
=== 明治期の赤本 ===
 明治期の[[赤本 (少年向け本)|近代赤本]]として『浦嶋物がたり』(明治13明治期の近代赤本として『浦嶋物がたり』(明治13/1880年)<ref name="urashima-monogatari1880"/>{{sfnp|<ref>早川|, 2018|p=44}}, p44</ref>、『浦島弌代記』(一代記)」(1883年)<ref name="urashima-ichidaiki1883"/>、『浦島物がたり』」(1885年)<ref name="urashima-monogatari1885"/>が挙げられる{{Refn|{{harvp|<ref>|, 2009|p=76}}、注 , p76</ref><ref>注 (6)。年代順にA本B本C本とし、『浦島弌代記』(B本)の挿絵を片岡政行訳で模写・流用した挿絵と比較している。}}</ref>
=== 明治・大正期の活版本 ===

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