「天羽槌雄神」の版間の差分
ナビゲーションに移動
検索に移動
(ページの作成:「'''天羽槌雄神'''(あまのはづちおのかみ)は、日本神話の神である。 == 概要 == 『古語拾遺』において'''天羽槌雄神'''とされ…」) |
(→神社) |
||
| (同じ利用者による、間の7版が非表示) | |||
| 1行目: | 1行目: | ||
| − | '''天羽槌雄神''' | + | '''天羽槌雄神'''(あまのはづちおのかみ)は、日本神話の神である。女神との説もあるようだが、男神と考える。 |
== 概要 == | == 概要 == | ||
『古語拾遺』において'''天羽槌雄神'''とされるほか、『日本書紀』では'''建葉槌命'''(たけはづちのみこと)、'''倭文神'''(しとりがみ)とされる。また、『新撰姓氏録』の山城国神別 天神 巨椋連の条では'''止与波知命'''(とよはちのみこと)、山城国神別 天神 神宮部造の条では'''天破命'''(あまのはのみこと)、『安房国忌部家系』に収録されている「齋部宿祢本系帳」<ref>安房国忌部家系, 齋部宿祢本系帳, 天羽雷雄命, doi:10.11501/2538213, NDLDC:2538213/55(国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>では'''天羽雷雄命'''(あまのはづちおのみこと)、別名、'''武羽槌命'''(たけはづちのみこと)、'''止与波豆知命'''(とよはづちのみこと)とある。 | 『古語拾遺』において'''天羽槌雄神'''とされるほか、『日本書紀』では'''建葉槌命'''(たけはづちのみこと)、'''倭文神'''(しとりがみ)とされる。また、『新撰姓氏録』の山城国神別 天神 巨椋連の条では'''止与波知命'''(とよはちのみこと)、山城国神別 天神 神宮部造の条では'''天破命'''(あまのはのみこと)、『安房国忌部家系』に収録されている「齋部宿祢本系帳」<ref>安房国忌部家系, 齋部宿祢本系帳, 天羽雷雄命, doi:10.11501/2538213, NDLDC:2538213/55(国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>では'''天羽雷雄命'''(あまのはづちおのみこと)、別名、'''武羽槌命'''(たけはづちのみこと)、'''止与波豆知命'''(とよはづちのみこと)とある。 | ||
| − | [[天照大神]] | + | [[天照大神]]を天の岩戸から誘い出すために、文布(あや)を織ったとされる。文布は倭文布とも倭文とも書き、「シドリ」また「シヅリ」という織物である。同じ織物の神では[[栲幡千々姫命]]、[[天棚機姫神|天棚機姫命]]が挙げられるが、天羽槌雄神は機織りの祖神とされている。また倭文(しどり)氏の遠祖でもある。 |
| − | 信仰としてはどちらの名でも織物の神、機織の神として信仰され、全国の[[倭文神社]] | + | 信仰としてはどちらの名でも織物の神、機織の神として信仰され、全国の[[倭文神社]]、静神社、'''服部神社'''などで祀られている。 |
== 系譜 == | == 系譜 == | ||
| 12行目: | 12行目: | ||
== 事績 == | == 事績 == | ||
| − | + | 天羽槌雄神は建葉槌命の名で『日本書紀』に登場した倭文神で、[[経津主神]]・[[タケミカヅチ|武甕槌命]]では服従しなかった星神の[[天津甕星|香香背男]](かがせお)を服従させた神とされる<ref>植松安, 1920-06, 仮名日本書紀, 上巻, p87–88, 大同館書店, NDLDC:961006/117, doi:10.11501/961006(国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>。 | |
== 考察 == | == 考察 == | ||
織物の神が、何故星の神を服従させる事が出来たのか、色々諸説ある内の説を挙げるとすると、 | 織物の神が、何故星の神を服従させる事が出来たのか、色々諸説ある内の説を挙げるとすると、 | ||
| − | *1つ目は、建葉槌命が武神だったとする説。建葉槌命の「建」は「武」、「葉」は「刃」と読み替えると武刃槌となり、まさに武神らしい名と受けとれるからといわれる | + | *1つ目は、建葉槌命が武神だったとする説。建葉槌命の「建」は「武」、「葉」は「刃」と読み替えると武刃槌となり、まさに武神らしい名と受けとれるからといわれる<ref>要出典:2022年3月</ref>。 |
| − | **この説の裏付けとして、武葉槌命を祀る大甕倭文神社(茨城県日立市)の『大甕倭文神宮縁起』からも武神であるむねを窺わせる内容が記されている | + | **この説の裏付けとして、武葉槌命を祀る大甕倭文神社(茨城県日立市)の『大甕倭文神宮縁起』からも武神であるむねを窺わせる内容が記されている<ref>要出典:2022年3月</ref>。 |
| − | *2つ目は、織物の中に星を織り込んでしまって、星の神を織物の中に封印したとする説。これは、太陽が沈んでも空に星が残っている事を、どうにか出来ないものかと考えた上での苦肉の策だとされる | + | *2つ目は、織物の中に星を織り込んでしまって、星の神を織物の中に封印したとする説。これは、太陽が沈んでも空に星が残っている事を、どうにか出来ないものかと考えた上での苦肉の策だとされる<ref>要出典:2022年3月</ref>。 |
| − | **日本書紀第九段一書(二)に「天に悪しき神有り。名を天津甕星(あまつみかほし)またの名を天香香背男(あまのかかせお)と曰う。請う、先ず此の神を誅し、然る後に下りて葦原中國をはらわん」。是の時に齋主(いわい)の神を齋之大人(いわいのうし)ともうす。とあり、日本書紀第九段本文と似た記述がある。これにより齋之大人=建葉槌命とみられ、齋主(祭祀)で征服したとある | + | **日本書紀第九段一書(二)に「天に悪しき神有り。名を天津甕星(あまつみかほし)またの名を天香香背男(あまのかかせお)と曰う。請う、先ず此の神を誅し、然る後に下りて葦原中國をはらわん」。是の時に齋主(いわい)の神を齋之大人(いわいのうし)ともうす。とあり、日本書紀第九段本文と似た記述がある。これにより齋之大人=建葉槌命とみられ、齋主(祭祀)で征服したとある<ref>要出典:2022年3月</ref>}ので上記の行為を齋主で行うことにより星神香香背男=天津甕星を征服したという説である。 |
| − | 他にも、香香背男側にいた建葉槌命を懐柔し味方に付け、内側から崩壊させた。などの説もある | + | 他にも、香香背男側にいた建葉槌命を懐柔し味方に付け、内側から崩壊させた。などの説もある<ref>要出典:2022年3月</ref>。 |
| + | == 神社 == | ||
| + | 倭文神社以外の名のものを挙げる。 | ||
| + | * [[大甕神社]]:茨城県日立市大みか町にある神社。地主神として[[天津甕星|甕星香々背男]]も祀る。 | ||
| + | |||
| + | == 私的考察 == | ||
== 関連項目 == | == 関連項目 == | ||
| 33行目: | 38行目: | ||
[[Category:日本神話]] | [[Category:日本神話]] | ||
[[Category:織神]] | [[Category:織神]] | ||
| + | [[Category:軍神]] | ||
| + | [[Category:陰]] | ||
| + | [[Category:ローマ教]] | ||
2025年1月26日 (日) 10:52時点における最新版
概要[編集]
『古語拾遺』において天羽槌雄神とされるほか、『日本書紀』では建葉槌命(たけはづちのみこと)、倭文神(しとりがみ)とされる。また、『新撰姓氏録』の山城国神別 天神 巨椋連の条では止与波知命(とよはちのみこと)、山城国神別 天神 神宮部造の条では天破命(あまのはのみこと)、『安房国忌部家系』に収録されている「齋部宿祢本系帳」[1]では天羽雷雄命(あまのはづちおのみこと)、別名、武羽槌命(たけはづちのみこと)、止与波豆知命(とよはづちのみこと)とある。
天照大神を天の岩戸から誘い出すために、文布(あや)を織ったとされる。文布は倭文布とも倭文とも書き、「シドリ」また「シヅリ」という織物である。同じ織物の神では栲幡千々姫命、天棚機姫命が挙げられるが、天羽槌雄神は機織りの祖神とされている。また倭文(しどり)氏の遠祖でもある。
信仰としてはどちらの名でも織物の神、機織の神として信仰され、全国の倭文神社、静神社、服部神社などで祀られている。
系譜[編集]
『古語拾遺』神代段では「倭文遠祖」、『先代旧事本紀』神祇本紀では「倭文造遠祖」と書かれる。
事績[編集]
考察[編集]
織物の神が、何故星の神を服従させる事が出来たのか、色々諸説ある内の説を挙げるとすると、
- 1つ目は、建葉槌命が武神だったとする説。建葉槌命の「建」は「武」、「葉」は「刃」と読み替えると武刃槌となり、まさに武神らしい名と受けとれるからといわれる[3]。
- この説の裏付けとして、武葉槌命を祀る大甕倭文神社(茨城県日立市)の『大甕倭文神宮縁起』からも武神であるむねを窺わせる内容が記されている[4]。
- 2つ目は、織物の中に星を織り込んでしまって、星の神を織物の中に封印したとする説。これは、太陽が沈んでも空に星が残っている事を、どうにか出来ないものかと考えた上での苦肉の策だとされる[5]。
- 日本書紀第九段一書(二)に「天に悪しき神有り。名を天津甕星(あまつみかほし)またの名を天香香背男(あまのかかせお)と曰う。請う、先ず此の神を誅し、然る後に下りて葦原中國をはらわん」。是の時に齋主(いわい)の神を齋之大人(いわいのうし)ともうす。とあり、日本書紀第九段本文と似た記述がある。これにより齋之大人=建葉槌命とみられ、齋主(祭祀)で征服したとある[6]}ので上記の行為を齋主で行うことにより星神香香背男=天津甕星を征服したという説である。
他にも、香香背男側にいた建葉槌命を懐柔し味方に付け、内側から崩壊させた。などの説もある[7]。