=== 墉城集仙録 ===
後代の伝承であるが、後蜀の杜光庭の『墉城集仙録<ref>9~10世紀に編纂された女仙の伝記集。</ref>』では、雲華夫人こと瑤姫は[[西王母]]の第23女で、[[禹]]の后となったとされる<ref>聞, 1989, page213</ref>。中華民国の学者・聞一多は、この伝承を詳細に分析し、高唐神女は本来は楚の始祖女神であって、高唐神女、夏の始祖・[[女媧]]、[[禹]]の后・[[塗山氏女|塗山氏]]、殷の始祖・[[簡狄]]は、もともと同一の伝承から分化したものではないか、と推測している<ref>聞, 1989</ref>。
=== 私的解説 ===
巫山神女はまず「始祖女神」ではない。懐王は神話的には「雨水の豊穣のための[[生贄]]」としての側面が強いように思う。古代中国は有史の時代となってからは、特に有力者は一夫多妻であったと思うので、懐王に妻は一人しかいないわけではなかったと思う。
原西王母 → [[西王母]]+[[女媧]] → 嫦娥型[[逃走女神]] → 子供の故に死ぬ女神:[[塗山氏女]]<br/>
→ 嫦娥型[[逃走女神]] → 子供を持たずに死ぬ女神:[[巫山神女]]<br/>
[[女媧]] → 北東アジア的始祖女神 → [[簡狄]]<br/>
と分化していったと思われる。
==== 女媧との関連姓 ====
巫山神女は雨水の豊穣をもたらす「天候神」であるので、その起源は[[女媧]]よりは[[西王母]]が近いと考える。
==== 塗山氏女 ====
[[塗山氏女]]は夫から逃げ出す「[[逃走女神]]」であって、夫との仲は良くなかったと思われる。巫山神女は一時であっても懐王と豊穣に通じるような「良い逢瀬」を(少なくとも神話的には)交わせた、と見るべきで、巫山神女と懐王との逢瀬が、互いに嫌気がさして逃げるような仲であったら、豊穣には結びつかないと感じる。
==== 簡狄 ====
[[簡狄]]は燕の卵に感応する女神で、[[女媧]]型の始祖神の一形態だと考える。
== 関連項目 ==
* [[西王母]]
* [[瑤姫]]
* [[小さ子]]
* [[ネペレー]]:男性(生贄)との交わりが天候を左右する女神である点が巫山神女と一致する。
=== 同起源と考えられる女神 ===
* [[伊豆能売]]:死んで再生された女神で、天候神であるところが共通している。
== 参考文献 ==
{{DEFAULTSORT:ふさん}}
[[Category:中国神話]]
[[Category:西王母型女神]]
[[Category:天候神]]
[[Category:雨乞い]]
[[Category:天冥界神]]