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日本における月の兎が描写された古い例には飛鳥時代(7世紀)に製作された『天寿国曼荼羅』の月に描かれたものなどがある<ref name="玉兎">足立康 「玉兎のはなし」 『日本彫刻史の研究』 竜吟社 1944年 547-551頁 </ref>。鎌倉・室町時代に仏教絵画として描かれた『十二天像』では[[日天]]・[[月天]]の持物としての日・月の中に[[三足烏|烏]]と兎が描き込まれている作例もみられる<ref>『特別展 密教美術』神奈川県立金沢文庫 1991年 81、93頁</ref>。
[[満州]](現在の[[中国東北部]])では秋に満月を祝う「満州(現在の中国東北部)では秋に満月を祝う「[[中秋節]]」に「月亮馬児」とよばれる[[木版]]刷りが壁に貼られたりするが、そこに兎は杵をもった姿で描かれていた」に「月亮馬児」とよばれる木版刷りが壁に貼られたりするが、そこに兎は杵をもった姿で描かれていた<ref>[[平岩康煕]]「身辺鳥記」 『動物文学』特輯第88輯 平岩康煕「身辺鳥記」 『動物文学』特輯第88輯 1942年12月 白日荘 44頁</ref>。
[[ミャンマー]]の仏教絵画の中にも日のなかにはミャンマーの仏教絵画の中にも日のなかには[[クジャク|孔雀]]、月のなかは兎が描かれており、[[須弥山]]を中心とした世界観を示した仏教絵画などを通じて各地で描かれていたこともうかがえる<ref>[[岩田慶治]] 監修『アジアのコスモス+マンダラ』 [[講談社]] , 1982年 34-35頁 ISBN 4-06-200285-X</ref>。[[タイ王国|タイ]]でも月には兎が住んでいるという伝承があり、絵画などにも見られる。同国[[チャンタブリー県]]の県章(図参考)に見られる兎も、月の兎をデザインに配したものである。。タイでも月には兎が住んでいるという伝承があり、絵画などにも見られる。同国チャンタブリー県の県章(図参考)に見られる兎も、月の兎をデザインに配したものである。
[[アメリカ合衆国アメリカ合衆国でもこの伝承は知られ、人類史上初の月面着陸をする前にアポロ11号の宇宙飛行士とNASA]]でもこの伝承は知られ、人類史上初の[[月面着陸]]をする前に[[アポロ11号]]の[[宇宙飛行士]]と[[NASA]]の管制官が月の兎に言及した記録が残っている管制官が月の兎に言及した記録が残っている<ref>Woods, W. David; MacTaggart, Kenneth D.; O'Brien, Frank. "Day 5: Preparations for Landing". The Apollo 11 Flight Journal. National Aeronautics and Space Administration. Retrieved 9 October 2017</ref>。
=== 仏教説話 ===
月になぜ兎がいるのかを語る伝説には[[インド]]に伝わる『[[ジャータカ]]』などの[[仏教]]説話に見られ、日本に渡来し『[[今昔物語集]]』などにも収録され多く語られている。その内容は以下のようなものである。月になぜ兎がいるのかを語る伝説にはインドに伝わる『ジャータカ』などの仏教説話に見られ、日本に渡来し『今昔物語集』などにも収録され多く語られている。その内容は以下のようなものである。
<blockquote>[[猿]]、[[狐]]、[[兎]]の3匹が、山の中で力尽きて倒れているみすぼらしい老人に出逢った。3匹は老人を助けようと考えた。猿は木の実を集め、狐は川から魚を捕り、それぞれ老人に食料として与えた。しかし兎だけは、どんなに苦労しても何も採ってくることができなかった。自分の非力さを嘆いた兎は、何とか老人を助けたいと考えた挙句、猿と狐に頼んで火を焚いてもらい、自らの身を食料として捧げるべく、火の中へ飛び込んだ。その姿を見た老人は、[[帝釈天]]としての正体を現し、兎の捨て身の慈悲行を後世まで伝えるため、兎を月へと昇らせた。月に見える兎の姿の周囲に煙状の影が見えるのは、兎が自らの身を焼いた際の煙だという。</blockquote>
<!--伝承によっては「3匹の動物は悪人が獣に転生した姿で、前世の罪滅ぼしのために善行に努めており、帝釈天は敢えて動物たちの行いを試そうとしていた」とも言われ、また老人は帝釈天ではなく仙人だった、3匹の動物の内の1匹は熊ではなく猿だった、動物は[[カワウソ|川獺]]を加えた4匹だった、兎は後に[[釈迦]]に転生した、などのバリエーションもある。※要出典を加えた4匹だった、兎は後に釈迦に転生した、などのバリエーションもある。※要出典-->
この説話の登場人物たちは、天体を示し、それぞれは「[[月]]」(猿)・「星(この説話の登場人物たちは、天体を示し、それぞれは「月」(猿)・「星([[シリウス]])」(狐)・「[[金星]]」(兎)・「[[太陽]]」(老人=帝釈天)であり、老人は光が弱々しくなった冬至前の太陽、帝釈天は光を取り戻した(=若返った)冬至後の太陽である、という解釈もなされている。
=== アメリカ先住民の民話 ===
同様の伝説は[[メキシコ]]の民話にも見られる。メキシコでも月の模様は兎と考えられていた。[[アステカ]]の伝説では、地上で人間として生きていた同様の伝説はメキシコの民話にも見られる。メキシコでも月の模様は兎と考えられていた。アステカの伝説では、地上で人間として生きていた[[ケツァルコアトル]]神が旅に出て、長い間歩いたために飢えと疲れに襲われた。周囲に食物も水もなかったため、死にそうになっていた。そのとき近くで草を食べていた兎がケツァルコアトルを救うために自分自身を食物として差しだした。ケツァルコアトルは兎の高貴な贈り物に感じ、兎を月に上げた後、地上に降ろし、「お前はただの兎にすぎないが、光の中にお前の姿があるので誰でもいつでもそれを見てお前のことを思いだすだろう」と言った。一般にケツァルコアトルは金星神であると考えられているが、この民話の場合は徐々に光を失っていく太陽神であると考えられる。太陽神と金星神は置換可能なのである。神が旅に出て、長い間歩いたために飢えと疲れに襲われた。周囲に食物も水もなかったため、死にそうになっていた。そのとき近くで草を食べていた兎がケツァルコアトルを救うために自分自身を食物として差しだした。ケツァルコアトルは兎の高貴な贈り物に感じ、兎を月に上げた後、地上に降ろし、「お前はただの兎にすぎないが、光の中にお前の姿があるので誰でもいつでもそれを見てお前のことを思いだすだろう」と言った。一般にケツァルコアトルは金星神であると考えられているが、この民話の場合は徐々に光を失っていく太陽神であると考えられる。'''太陽神と金星神は置換可能'''なのである<ref group="私注">インドとアステカに類似した伝承がある、ということは、双方に人々が枝分かれしたよりも前に伝承が発生していたことが分かる。</ref>。
別の[[メソアメリカ]]の伝説では、第5の太陽の創造において別のメソアメリカの伝説では、第5の太陽の創造において[[ナナワツィン]]神が勇敢にも自分自身を火の中に投じて新しい太陽になった。しかし[[テクシステカトル]]の方は火の中に身を投じるまで4回ためらい、5回めにようやく自らを犠牲にして月になった。テクシステカトルが臆病であったため、神々は月が太陽より暗くなければならないと考え、神々のひとりが月に兎を投げつけて光を減らした。あるいは、テクシステカトル自身が兎の姿で自らを犠牲にして月になり、その姿が投影されているともいう。
[[アメリカ州の先住民族|ネイティブ・アメリカン]]のネイティブ・アメリカンの[[クリー]]はまた別の、月に昇りたいと思った若い兎の伝説を伝える。鶴だけが兎を運ぶことができたが、重い兎が鶴につかまっていたために鶴の脚は今見るように長く伸びてしまった。月に到着したときに兎が鶴の頭に血のついた脚で触ったため、鶴の頭には赤い模様が残ってしまった。この伝説によれば、晴れた夜には月の中に兎が乗っているのが今も見えるという。はまた別の、月に昇りたいと思った若い兎の伝説を伝える。'''鶴'''だけが兎を運ぶことができたが、重い兎が鶴につかまっていたために鶴の脚は今見るように長く伸びてしまった。月に到着したときに兎が鶴の頭に血のついた脚で触ったため、鶴の頭には赤い模様が残ってしまった。この伝説によれば、晴れた夜には月の中に兎が乗っているのが今も見えるという。
=== 創作物 ===
上記のような月に兎が住んでいるという伝承や説話の影響から、日本の文芸・演芸・絵画・音楽などの創作物には、月の生活者として兎を用いた作品が多く見られる。
[[唱歌]]「兎の餅舂」(うさぎ 唱歌「兎の餅舂」(うさぎ の もちつき)(『幼年唱歌』 [[1912年]])では、餅つきをしている月の世界の兎たちが登場して、大福餅をつくっている様子を描いている。1912年)では、餅つきをしている月の世界の兎たちが登場して、大福餅をつくっている様子を描いている。
==ヒキガエル==
兎のほか、古代中国では月には{{読み仮名|蟾蜍|せんじょ|兎のほか、古代中国では月には蟾蜍(せんじょ, [[ヒキガエル]]のこと}}が棲んでいるとされていたのこと)が棲んでいるとされていた<ref>[[淮南子]]の{{読み仮名|月中蟾蜍|げっちゅうせんじょ}}。淮南子の月中蟾蜍(げっちゅうせんじょ)。[[嫦娥|嫦娥伝説]]も参照。</ref>。[[前漢]]の[[馬王堆漢墓]]から出土した帛画のように、中国で製作された模様の中には月にいるものとして兎とヒキガエルを同じ画面内に収めて登場させているものも見られる。前漢の馬王堆漢墓から出土した帛画のように、中で製作された模様の中には月にいるものとして兎とヒキガエルを同じ画面内に収めて登場させているものも見られる<ref name="玉兎" />。
== 月の模様について ==
[[2012年]][[10月29日]]、 [[産業技術総合研究所]]が月周回[[衛星]]「[[かぐや]]」の収集データを[[分析]]したところ、月の兎の形は39億年以上前2012年10月29日、 産業技術総合研究所が月周回衛星「かぐや」の収集データを分析したところ、月の兎の形は39億年以上前<ref>[http://mainichi.jp/feature/maisho/news/20121030kei00s00s023000c.html ニュース交差点:科学 月のうさぎ形模様、巨大隕石の衝突跡] - [[毎日jp]]、2012年10月30日閲覧。毎日jp、2012年10月30日閲覧。</ref>に巨大[[隕石]]の[[衝突]]により[[プロセラルム盆地]]ができ、こんにち[[地球]]から見える月の兎が巨大隕石の衝突によってできたものと[[証明]]されたに巨大隕石の衝突によりプロセラルム盆地ができ、こんにち地球から見える月の兎が巨大隕石の衝突によってできたものと証明された<ref>[http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121029/k10013087981000.html "月のうさぎ"は巨大隕石の跡] - [[NHK NEWS WEB]]、2012年10月30日閲覧。WEB、2012年10月30日閲覧。</ref><ref>[http://www.astroarts.co.jp/news/2012/10/29moon/index-j.shtml 月のウサギは巨大衝突で生まれた 「かぐや」データで判明] - [[AstroArts]]、2012年10月30日閲覧。AstroArts、2012年10月30日閲覧。</ref>。 == 脚注 ==<references/>
== 関連項目 ==
* [[玉兎]]
* [[嫦娥]]
* [[火烏]]・[[金烏]] - 太陽の烏
* [[兎児爺]]
 
== 参考文献 ==
* Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%88%E3%81%AE%E5%85%8E 月の兎](最終閲覧日:22-11-21)
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Moon_Rabbit}}* [http://www.otani.ac.jp/yomu_page/b_yougo/nab3mq0000000ra1.html 生活の中の仏教用語 -(221)月の兎] ([[大谷大学]]ホームページ内)(大谷大学ホームページ内)
* [https://www.isas.jaxa.jp/home/research-portal/gateway/2022/0203/ 月のうさぎはいつどのようにして餅をつくようになったのか] (JAXA あいさすGATE)
{{月}}== 私的注釈 ==<references group="私注"/> == 脚注 ==<references/>
{{DEFAULTSORT:きよくと}}
[[Category:中国神話]]
[[Category:兎]]
[[Category:月神]]

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