=== 豊後国風土記 ===
豊後国(大分県)風土記総記に、「白い鳥が飛来して、餅に変わり、その直後にサトイモ数千株に変わった」という記載がある豊後国(大分県)風土記総記に、「'''白い鳥'''が飛来して、餅に変わり、その直後にサトイモ数千株に変わった」という記載がある<ref>風土記、植垣節校注・訳、日本古典文学全集第5巻、小学館、1997年、p285</ref>。
=== 私的解説・ハイヌウェレ型神話との関連性 私的解説・ハイヌウェレ型神話との関連性等 ===
芋名月では、サトイモを高い所に掲げて「月」と同一視する風習も、少なくとも一部の地域にはあったようである。
となる。このような「月の神(おそらく女神)」の地位の低下はハイヌウェレ型神話より、サトイモが日本に到来する以前から生じていたと考えられるが、日本の国において「'''月見に芋を神に捧げる'''」という習慣が優位であるならば、「家津御子」的な概念を持ち込んで、かつ'''特に強く'''拡散を試みたのは後発の弥生系の人々の可能性もあるように思う。
豊後国風土記の記載は、'''白い鳥'''が餅を経て芋に化生した、という神話である。餅が出てくる所から稲作文化の影響がみられる。白い鹿が建御雷神の象徴とされるように、「'''白い鳥'''」、「'''白い餅'''」は稲光(雷)の象徴と思われる。稲光である鳥や餅が'''死ぬことなく'''イモに化生する、というものが、古来よりの縄文系の人々のイモ類に関する神話であった可能性が高いと考える。岩見地方の[[乙子狭姫]]の伝承でも[[乙子狭姫]]は生きたまま人々に穀類をもたらす。縄文系の文化は母系社会であるので、サトイモとその文化を受け入れる際に、'''家津御子的な父神'''を受け入れず、[[乙子狭姫]]のような小さな女神を「稲光の女神」として更に上位の天の女神からの使い、として受け入れたようである。「上位の女神」とは太陽女神、月の女神、[[雷母]]のような大きな雷の女神などが考え得る。
中国の神話では、雷神の子が死んで穀物に化生した、という[[后稷]]の神話がある。稲光を「'''死んだもの'''」として、それが植物系食物に化生するという思想は、古代日本では、中国由来の弥生系ものであり、「'''生きたまま'''」化生するという思想は縄文系であることが示唆されないだろうか。サトイモは縄文時代に日本に渡来したものだからである。
== 栽培 ==
== 関連項目 ==
* [[ハイヌウェレ型神話]]
* [[后稷]]
== 参照 ==
[[Category:植物]]
[[Category:ハイヌウェレ]]
[[Category:化生神話]]