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686 バイト追加 、 2025年2月24日 (月)
** 楯縫神社(但馬国'''養父郡'''、小社)。兵庫県養父市長野字東山。主祭神・彦狹知命<br>「お走り祭り」という奇祭がある。祭りの起源は不明とされているが、その昔、但馬がまだ泥海であった頃、斎神社の彦狭知命が豊岡市瀬戸を切り開くことで大地を創造し、[[養父神社]]の養父大明神が但馬五社を代表して、彦狭知命にお礼参りしたことが始まりという伝説があるようだ。(但馬事典「ザ・たじま」を参考)<ref>[https://www.tajima.or.jp/furusato/157288/ 奇祭!お走り祭りの伝説が伝わる斎神社]、但馬情報特急(最終閲覧日:25-02-23)</ref>
** 楯縫神社(但馬国気多郡、小社)。兵庫県豊岡市。主祭神・彦狹知命
*** 白藤神社(兵庫県豊岡市大谷)。はじめ「楯縫神社」と称した。
*** 赤藤神社(豊岡市庄字谷口)。彦狹知命を祀る。
** 楯縫神社(丹波国'''氷上郡'''、小社)。兵庫県丹波市。主祭神・彦狹知命。衰退が激しい式内社、とのこと<ref>[http://engishiki.org/tanba/bun/tab380409-01.html 楯縫神社]、延喜式神社の調査(最終閲覧日:25-02-23)</ref>。
** 川内多々奴比神社(丹波国多紀郡、小社)。兵庫県丹波市。主祭神・[[天照皇大御神]]<br/>「多々奴比」は「楯縫」が転訛したもので、元は楯部の社として彦狹知命を祀っていたという。
彦狭知命は忌部氏の神であり楯を作る職人集団(氏族)の祖神とされたようである。[[高御産巣日神]]の子孫とされている、ということは天太玉命の系譜に連なるのだろうか。阿波[[忌部氏]]の千葉開拓神話と共に「楯縫」の名が残っているので、どこの「忌部氏」なのかという系譜がまだ確立されていない時代に「楯縫」を名乗る人々の一部は千葉に移動しているし、その頃は布津主神を祀っていたと思われるので、[[忌部氏]]とは物部氏の一派と考える。物部氏の職人集団が中央の政治的な権力から離れて、氏族的な職人集団として確立していくうちに、物部氏本体が祀る布津主神から離れて、独自の祖神を持つようになったものではないだろうか。
兵庫県の楯縫神社は、持統天皇の時代に作られたもののようである。養父郡に養父神社、気多郡に出石神社、糸井郡に粟鹿神社とあるので、重要な地域に「兵庫」が設置されたものか。丹波には多紀郡に大賣神社、氷上郡に兵主神社があるように思う。兵庫県の楯縫神社は、持統天皇の時代に作られたもののようである。養父郡に養父神社、気多郡に出石神社、糸井郡に粟鹿神社とあるので、重要な地域に「兵庫」が設置されたものか。丹波には多紀郡に大賣神社、氷上郡に兵主神社があるように思う。ただ、養父郡の楯縫神社は斎神社の摂社であり、彦狭知命が当地を開拓して、かつ但馬五社の神々よりも上位に来る、という意味の伝承があるようなので、持統天皇の時代前後に設置された兵庫とは別に、古くから[[忌部氏]]が居住していた、ということがあるかもしれないと思う。あるいは当地を物部氏系の氏族が開拓し、それが時代が下って同族の忌部氏の神話に置き換わったものか。
== 参考文献 ==

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