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918 バイト追加 、 2025年2月14日 (金)
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しかし、これが「大物主命」という名になると、崇神天皇の時代に天変地異や疫病の流行を起こしたとされ、[[大田田根子]]に自分を祀らせるように、と求める祟り神となる。結局大国主命は黄泉の国に行ったら、[[須佐之男命]]のような疫神になってしまっていることが分かる。この傾向は群馬県高崎市倉賀野町にある倉賀野神社の由緒譚である[[那波八郎]]で顕著である。[[那波八郎]]は生前は「良い人」だったが、兄たちに殺され、埋められて祟り神としての蛇神となって年に1回人身御供を求めるようになった。話の骨格は「殿様と忠臣」と同じである。また兄たちに妬まれて殺されていること、倉賀野神社の祭神が[[大国魂神]]であることから、[[那波八郎]]とは大国主命が変化したものであることが分かる。中世になって記紀神話を解読できるものがわずかになった結果、伝承だけが民間で一人歩きし、全国的に一致する形で独特の「祟り神神話」として確立したものと考える。群馬県ではそれが[[那波八郎]]になり、福岡県では「殿様と忠臣」になっている。だから、この場合の「忠臣」の起源の一つは大国主命といえる。
 
'''成人男性'''を人身御供に求める話にいわゆる「[[キジも鳴かずば]]」がある。これも「水」に関する話だが、全体的に見れば「自己犠牲」の話であって、人身御供になるものは自らが生贄の「くじ」に当たるよう仕向けて亡くなる。いわゆる「'''自己犠牲'''」である。
 
「殿様と忠臣」では、殿様の気性を考えれば諫言を行うことは自らの身を危うくする行為でもあり、敢えてそれをすることは「自己犠牲」とまでははっきりとは明確に表現されていないが「自己犠牲」に近いものはある。殿様はまるで'''ヘロデ王'''のような暴君で、気にいらないものはなんでも殺してしまう。
 
また、「[[キジも鳴かずば]]」には管理人が知る限り、1例だけ「泥棒の罪」で殺されたものがいる。
== 参考文献 ==

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