=== 猿橋の話との関連 ===
猿橋の物語は、地域共同体の中にそぐわない者を人身御供にしてしまった、という話。たまたま通りかかった旅人を人身御供にしてしまった、というパターンもよくある話である。自己犠牲の話ではなく、こちらの方が本来的な話に近いのではないか、と考える。疫神は村の外からやってくるものなのだから、外からやってきた者を疫神に見立てて、冥界(村の外部)に送り出す方が妥当といえる。その方が共同体の中から犠牲者を出すことについての良心の咎めも軽減される。
共同体の中から人身御供を選ぶ際には、犯罪者を選んだり、'''何か人と違ったところがある人'''を「共同体にそぐわない人」として血祭りに上げていたのだろう。
=== 愛本姫社の話との関連 ===
こちらは娘が「荒ぶる水神」の妻として人身御供になるパターンである。「父親」が人身御供になる話の方が古い時代の型であると考える。若干「自己犠牲」の精神も認められる。
ただ、「'''水の中に消えた娘'''」の話だから「'''水商売の女'''」に見立てるのはいかがなものなのか、という感はある。どちらも「'''自分以外の人のために苦界に身を沈める存在'''」ではあるかもしれないが。相手が大蛇であっても、真剣に恋愛に生きる純情な娘と、相手が人間であってもお金にしか見えない商売人とでは全然違うし、神に対する敬意とはなんだろう? 世界的に有名でさえあれば、何でもいいのか? やっぱり神とは金とか名声なのか? と個人的には考えてしまう。
ともかく、この「'''水商売をやってる豊玉毘売'''」という感の娘が、そんな風に取り扱った人間に対して、また祟りを起こしたら対処が必要、ということでエンドレスに人身御供の連鎖が続くことになり、祭祀のたびにお布施が必要になって坊主だけが肥え太る、となると立派なキリスト教神話のできあがりなのではないか、と感じるわけである。人身御供として苦界につき落とされる人が増えれば増えるほど、「魂'''だけ'''救ってやる」と言って彼らからむしり取れる収入が増えるような、おいしい「商売」はないのではないだろうか。
=== キリスト教との関連(推定) ===
おそらく「自己犠牲で死ぬ小コミュニティのリーダー」とは、'''イエス・キリスト'''になぞらえているのではないか、と考える。ただ、若い娘(女神)がその死に関わる、というのは、いかにも生け贄を求めて殺す「ネミの森」のディアーヌ([[アルテミス]])的存在だと感じる。地域の女神信仰の実情に合わせたものか、それともローマから持ち込まれたものなのか不明だが、古代の日本にはこのような女神を必要とする'''[[金刺氏]]'''のような氏族もいたのであろう。殺された「父親」が「(冤罪であったとしても)泥棒の罪で殺された」とイエスの実情に沿った話になっているのは信州新町の話のみである。この話が一番古い話であり、他の地域の話はここから派生したものである可能性はないだろうか。
== 関連項目 ==
* [[天若日子]]
** [[鳴女]]
* [[人身御供]]
* [[秋鹿神社]]:'''高祖寺奥の院大日堂'''には「霊的な食物を盗む神」の伝承が伝わる。
* [[会津比売神]]:キジも鳴かずばの「娘」に相当する女神と考える。
== 参考文献 ==
[[Category:日本神話]]
[[Category:伝承列伝]]
[[Category:ローマ教ローマ教神話]]