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『古事記』において国産みの際、[[伊邪那岐命]]と[[伊邪那美命]]との間に生まれた最初の神。しかし、子作りの際に女神である[[伊邪那美命]]から先に男神の[[伊邪那岐命]]に声をかけた事が原因で不具の子に生まれたため、[[葦船]]に入れられ[[オノゴロ島]]から流されてしまう。次に生まれた[[淡島神]]と共に、二神の子の数には入れないと記されている。棄てられた理由について『古事記』では[[伊邪那岐命]]・[[伊邪那美命]]の言葉として「わが生める子良くあらず」とあるのみで、どういった子であったかは不明<ref name=nakamura>中村一基, 童子神の変容 : 水蛭子から夷三郎殿へ, 岩手大学教育学部研究年報, ISSN:0367-7370, 岩手大学教育学部, 1991, vol51, 1, p21-13, naid:110000109031, doi:10.15113/00011670, https://doi.org/10.15113/00011670</ref>。後世の解釈では、水蛭子とあることから水蛭のように手足が異形であったのではないかという推測を生んだ<ref name=nakamura/>。あるいは、胞状奇胎と呼ばれる形を成さない胎児のことではないかとする医学者もある<ref name=harada>原田信一, 水蛭子神話論攷, 駒沢大学文学部研究紀要, ISSN:04523636, 駒澤大学, 1994, mar, issue52, p147-194 , 110006992962, http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/16167/</ref>。
『日本書紀』では「蛭児」と表記される。一書には複数回現れ、[[日本書紀伊邪那岐命]]』では「蛭児」と表記される。一書には複数回現れ、イザナギ・イザナミが生んだ最初または2番目の神として『古事記』に似たものもあるが、本文では・[[伊邪那美命]]が生んだ最初または2番目の神として『古事記』に似たものもあるが、本文では[[三貴子]](みはしらのうずのみこ)のうち[[天照大神|アマテラス天照大御神]]と[[ツクヨミ月読命]]の後、[[スサノオ須佐之男命]]の前に生まれ、三歳になっても脚が立たなかったため、[[鳥之石楠船神|天磐櫲樟船]](アメノイワクスフネ。堅固な[[クスノキ]]で作った船)に乗せて流した、とする。[[中世]]以降に起こる蛭子伝説は主にこの日本書紀の説をもとにしているで作った船)に乗せて流した、とする。中世以降に起こる蛭子伝説は主にこの日本書紀の説をもとにしている<ref name=nakamura/>。この「三歳」は日本書紀で最初に年を数えた記述である。
始祖となった男女二柱の神の最初の子が生み損ないになるという神話は世界各地に見られる。特に東南アジアを中心とする[[洪水型兄妹始祖神話]]との関連が考えられている。

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