水内郡金刺氏は'''「祀る神」を変える傾向がある'''ように考える。埴科郡には祝神社などで金刺氏祖神の武五百建命を祀っているが、水内郡(主に現在の長野市)には武五百建命を祀った神社がみられない。かつて水内大社と呼ばれた可能性がある神社には、健御名方富命彦神別神が祀られ、善光寺・当信神社などで歳神(年神)が祀られ、更に時代が下ると善光寺そのものが信仰の主体になっていくように思える。善光寺周辺には諏訪系の神社が乱立している。
長野市には「尾張部」という地名があり、
<blockquote>朝陽(あさひ)地区の大部分は、尾張(おわり)郷に属していたと考えられる。尾張郷は、朝陽地区から古牧(こまき)地区にかけての一帯で、その名は、尾張氏の部民(支配する人民)が住んだことに由来するといわれる。尾張氏は大和国(奈良県)葛城(かつらぎ)の高尾張から出た氏族だという。北尾張部(おわりべ)の尾張神社の境内には、尾張氏の祖を祭る尾張姓霊神社がある。この地区に尾張氏の一族が住んでいたのかもしれない<ref>[https://adeac.jp/nagano-city/texthtml/d100080/ct00000008/ht005600 尾張郷]、長野市/長野市デジタルミュージアム ながの好奇心の森(最終閲覧日:25-01-18)</ref>。</blockquote>
とある。尾張郷は平安時代には成立していたとされるが、長野市でも一等地にあるため古くから開けていた地と考える。尾張神社の祭神は'''日子八井命'''でこちらは多氏の祖である。愛知県犬山市は'''丹羽氏'''と呼ばれる多氏の子孫の勢力範囲だったが、大縣神社には'''大荒田命'''を祀る。
== 参考文献 ==