八杵命は開拓神であり、八桙神社の祭神や伝承より、おおむね'''大国主命'''のことで良いと考える。ただ、諏訪では健御名方命よりも先に信仰されていた神でもあって、諏訪系の勢力が強くなるうちに、「継子」として格下げされり、ややはじき出されたりした立場に置かれたのではないだろうか。諏訪では「若宮」という言葉が目立ち、かすかに「'''非業の死を遂げた神'''」という印象を受ける。
管理人の想像では、飯山の健御名方富命彦神別神社の相伝に名が見える'''八須良雄命(やすらをのみこと)'''も同じ神ではないか、と考える。三条市の'''八木ケ鼻'''も'''八須良雄命八須良雄'''が変化したものかもしれない、と思うため付記しておく。
同じく健御名方命の子神とされる'''[[八縣宿禰神]]'''とも関連があるのではなかろうか。
そして、八須良雄命が民間伝承化したものが八面大王と考える。
あくまでもよくよくの私見だが、健御名方命は大国主命の子神、と言われるにもかかわらず、長野県では大国主命はさほど目立つ神ではないように感じる。その代わり、どこへ行っても健御名方命が祭神の列に名を連ねる神社は多いし、いわゆる「諏訪大明神」と呼ばれた健御名方命を祭神とする神社も多数ある、というより大抵は「諏訪大明神」だ、という感がある。だから、健御名方命は純粋な出雲系の神ではないだろう、と常々感じるのだ。大国主命の別名と思われる八杵命があっさりと「継子」扱いされてしまうのも、神話的には「父子」であっても、現実の諏訪系と出雲系の「微妙な距離感」というものを感じる気がする管理人である。
== 参考文献 ==