差分
ナビゲーションに移動
検索に移動
← 古い編集
八杵命
(編集)
2024年12月30日 (月) 14:56時点における版
5,990 バイト追加
、
2024年12月30日 (月) 14:56
→私的考察
{|tableborder="1" cellspacing="0" style="float:right; clear: right; margin: 0px 0px 5px 1em; padding: 5px; border: 1px solid #d4acad; border-right-width: 1px; border-bottom-width: 1px; background:#f8f4e6; text-align:center; font-size:85%;"
|style=" font-size:100%;background-color:#82ae46;"|<span style="color: white;">八杵命</span>
|-
|別名:八県宿禰神、八縣宿祢命、箭津安賀多神、佐和惠多良六老彦神、六老彦神
|-
|父:[[建御名方神]]
|}
'''八杵命'''
(やきねのみこと、やぎのみこと)は、長野県諏訪地方の民間伝承(諏訪信仰)の神。
(やきねのみこと、やぎのみこと)は、長野県諏訪地方の民間伝承(諏訪信仰)の神。別名'''継子神'''、'''八上乃命'''。'''八千矛神'''、八木大明神も含まれるか。諏訪では[[八坂刀売神]] の連れ子という説がある。
== 概要 ==
下諏訪町矢木に鎮座する矢木神社では'''信濃国開拓の神'''とされ、神陵が付近にあると伝わるが、詳細な位置は不明。
== 継子神 ==
下野国日光輪王寺蔵『諏訪神社縁起 上巻』に、『下宮ニハ'''継子'''也、上宮ニハ実子也(諏訪教育会『復刻諏訪史料叢書第四巻』)』とあるとのこと。古地図には諏訪大社下社春宮の直近の'''砥川'''沿いに「ままかみ」とある。blog『まるごと博物館~宝探し探検隊のページ~』の〔下諏訪の講について〕に
<blockquote>継子神(ママコガミ)、開拓が得意な神様。下の原の南を開拓、「八桙(やぎ)」という名前が地名に残されている。</blockquote>
とある。継子社については
<blockquote>今はその遺跡として「継子神」の字地が残っているが祠は無く、継子神は矢木町公民館の前庭に移されており、'''矢木神社'''として祀られている。祠の跡地には他の氏神が祀られている。</blockquote>
とのこと。第一区区誌編さん委員会『郷土誌 下の原』〔近世の下の原〕・[巻氏神と屋敷神]からの転載では
<blockquote>吉沢姓同族神は四軒で祀り、祭神は継子神・愛宕権現とある。また、下の原の巻氏神の特色の一つは吉沢巻の祝神である。継子神は'''下社の祭神八坂刀売命の連子'''ともいわれる。</blockquote>
とのこと<ref>[https://yatsu-genjin.jp/suwataisya/simosya/mamako.htm 継子神を探せ]、八ヶ岳原人(最終閲覧日:24-12-30)</ref>。
== 考証 ==
[[建御名方神]]と[[八坂刀売神]]の子の一柱で、子に[[久留須神]]、比良夫神、若那売神、八立神(八玉神)、倉稲主神(倉稲魂神)がいる。
==
祀る神社
祀る神社他
==
* '''諏訪大社上社前宮''' 摂社 '''若御子社'''(長野県茅野市宮川)
* 諏訪大社下社春宮 摂社 若宮社(長野県諏訪郡下諏訪町)
* 諏訪大社下社秋宮 摂社 若宮社(長野県諏訪郡下諏訪町)
* 矢木神社(長野県諏訪郡下諏訪町)
=== 八桙神社 ===
八桙神社(やほこじんじゃ)は、徳島県阿南市長生町に鎮座する神社である。 祭神は大己貴命他。元慶7年(883年)、神階従五位上を授けられる。
祭神について『神名帳考證』『阿波志』では'''八千矛神'''、『特撰神名牒』『大日本史神祇志』では祭神'''八桙神'''は建御名方神の子または曾孫としており<ref>延川和彦「諏訪氏系図」『修補諏訪氏系図.正編』(飯田好太郎、大正10年)18頁</ref><ref name="宝賀寿男『長髄彦の後裔とその奉斎神社』2008年">宝賀寿男『長髄彦の後裔とその奉斎神社』2008年</ref>、『諸系譜』第六冊の「長公系図」には、弟を意味する「イロト(色止・伊呂止)」を名にする伊侶止命の子に'''八上乃命'''(やかみのみこと)が挙げられており、これが八桙神、つまり建御名方神の子・'''八杵命'''にあたると考えられる<ref name="宝賀寿男『長髄彦の後裔とその奉斎神社』2008年"/>。
=== 八木神社 ===
八木神社(やぎじんじゃ)は、新潟県三条市大字北五百川に鎮座する神社である。式内社・伊加良志神社の論社の一つ。'''八木ケ鼻'''と呼ばれる場所にある。神域である八木ケ鼻は、すでに原始の頃に神霊の 降臨があって、崇拝の対象とされ、その頂上には、かつて一社が建立されていたという。「八木」は米の字に通じ、食の神である倉稲魂命を主祭神とする八木大明神がこの地に祀られた。
祭神は八木大明神(倉稲魂命)、守門大明神(豊磐間戸命,櫛磐間戸命)、新田義貞、新田義顕、新田義興、新田義宗<ref>[https://genbu.net/data/etigo/yagi_title.htm 八木神社]、玄松子(最終閲覧日:24-12-30)</ref>。
== 私的考察 ==
八杵命は開拓神であり、八桙神社の祭神や伝承より、おおむね'''大国主命'''のことで良いと考える。ただ、諏訪では健御名方命よりも先に信仰されていた神でもあって、諏訪系の勢力が強くなるうちに、「継子」として格下げされり、ややはじき出されたりした立場に置かれたのではないだろうか。諏訪では「若宮」という言葉が目立ち、かすかに「'''非業の死を遂げた神'''」という印象を受ける。
管理人の想像では、飯山の健御名方富命彦神別神社の相伝に名が見える'''八須良雄命(やすらをのみこと)'''も同じ神ではないか、と考える。三条市の'''八木ケ鼻'''も'''八須良雄'''が変化したものかもしれない、と思うため付記しておく。
同じく健御名方命の子神とされる'''[[八縣宿禰神]]'''とも関連があるのではなかろうか。
そして、八須良雄命が民間伝承化したものが八面大王と考える。
あくまでもよくよくの私見だが、健御名方命は大国主命の子神、と言われるにもかかわらず、長野県では大国主命はさほど目立つ神ではないように感じる。その代わり、どこへ行っても健御名方命が祭神の列に名を連ねる神社は多いし、いわゆる「諏訪大明神」と呼ばれた健御名方命を祭神とする神社も多数ある、というより大抵は「諏訪大明神」だ、という感がある。だから、健御名方命は純粋な出雲系の神ではないだろう、と常々感じるのだ。大国主命の別名と思われる八杵命があっさりと「継子」扱いされてしまうのも、神話的には「父子」であっても、現実の諏訪系と出雲系の「微妙な距離感」というものを感じる気がする管理人である。
== 参考文献 ==
* Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E6%9D%B5%E5%91%BD 八杵命](最終閲覧日:24-12-30)
* [https://yatsu-genjin.jp/suwataisya/simosya/mamako.htm 継子神を探せ]、八ヶ岳原人(最終閲覧日:24-12-30):郷土の神々に対する探究心と行動力が素晴らしい、と感じるサイトです。詳細な資料に深く感謝いたします。
* Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E6%A1%99%E7%A5%9E%E7%A4%BE 八桙神社](最終閲覧日:24-12-30)
* [https://genbu.net/data/etigo/yagi_title.htm 八木神社]、玄松子(最終閲覧日:24-12-30)
== 関連項目 ==
*
[[八縣宿禰神]]
== 脚注 ==
Bellis
ビューロクラット
、
インターフェース管理者
、
管理者
20,029
回編集
案内メニュー
個人用ツール
ログインしていません
トーク
投稿記録
ログイン
名前空間
ページ
議論
変種
表示
閲覧
編集
履歴表示
その他
検索
スキタイ神話
インド神話
インドネシア神話
イラン神話
エジプト神話
ギリシア神話
エトルリア神話
ローマ神話
ローマ教神話
エフェソス教神話
ロマンス神話
ケルト神話
ガリア神話
ゲルマン神話
北欧神話
東欧神話
ロシア神話
中央アジア
カフカス神話
中東
ヒッタイト神話
ハッティ神話
フルリ神話
ルウィ神話
テュルク神話
メソポタミア神話
シュメール神話
ユダヤ神話
極東神話
モンゴル神話
台湾神話
中国神話
ミャオ族神話
タイ神話
朝鮮神話
日本神話
伝承列伝
神社
民族他
動物
案内
メインページ
最近の更新
おまかせ表示
MediaWikiについてのヘルプ
ツール
特別ページ
印刷用バージョン