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竹野神社は三方を塀に囲まれており、塀には全て白い二本線が入っている。天皇家にゆかりがないと白い線を入れることは出来ないとされており、天皇家にゆかりのある格式の高い神社は京丹後市の神社では竹野神社のみと言われている<ref>丹後思い出散歩あのころへ, 中江忠宏, 2013, p48</ref>。
本殿の真後に'''依遅ヶ尾山'''がある。がある。竹野神社は、修験の山である依遅ヶ尾山と日本海の間に位置しており、依遅ヶ尾山の向こう(東)から太陽が上り、社の上を通って海(西)に太陽が沈む<ref>[http://kyotango-rekishibunka.jp/column/24 選ばれし場所 竹野神社]、京丹後マップ(最終閲覧日:24-12-20)</ref>。
=== 斎宮神社 ===
竹野神社の摂社。竹野神社の隣にある。祭神は'''竹野媛命'''、日子坐王命、建豊波豆羅和気命である。
竹野神社には神に仕える斎女が選ばれた。斎女は市場村(現熊野郡久美浜町)から出た。神の子が生まれると、その家に白羽の矢が立ったと伝える。今、市場には斎宮大明神と呼ばれる小祠が祀られている<ref>[https://tangonotimei.com/doc/tango/ktngc/takanojj.html 竹野神社(たかのじんじゃ)・斎宮神社(いつきのみやじんじゃ)]、丹後の地名・地理資料集(最終閲覧日:24-12-19)</ref>。 『宮津府志』(天野房成・指田武正・小林玄章・宝暦13)に、 <blockquote>斎宮ト號スルハ熊野郡市場村ニ斎官之人有女子を生メバ則チ飛箭屋上ニ立ツ也。其ノ子四五歳之時当宮ニ奉リ斎女ト為也。山中深林之中ニ獨リ禽獣ト同居シテ敢テ畏怖スルコト無シ。若シ長シテ天癸(月経)至リ或ハ交接之情生スルニ及テハ即チ大蛇出現シテキキトシテ(雷鳴のとどろくがごとく)眼ヲ瞋ラス是時ニ及テ官ヲ致シテ郷里ニ還ル。</blockquote> とあるとのこと[https://www.kyotango.gr.jp/sightseeing/696/ 竹野神社]、京丹後ナビ(最終閲覧日:24-12-19)。
=== 矢崎神社 ===
伝承地 竹野郡丹後町矢畑
<blockquote>昔、依遅ケ尾に'''三頭五尾'''の大蛇が棲んでいた。矢畑の村の人々は時々この大蛇を見た。<br>この大蛇が、ある日、斎神社の神姫を見て、一目惚れをした。大蛇は牧の谷まで下りてきたが、斎神社の神威に打たれて神社の森に入ることができなかった。<br>斎神社の神は大蛇がかわいそうになって、雪がたくさん積もったある日、大蛇に「二百十日の巳の刻に斎神社の松縄手にあるお旅所へ行け。そうすればお前の恋をかなえてやろう。」と告げた。やがて、春が来て雪が解け、夏が過ぎ秋になった。斎神社の神姫にも「二百十日の巳の刻、とてもよいことがあるので、縄手のお旅所へ行くように」と'''天照大神'''のお告げがあった。<br>二百十日になり、神姫は斎神社のお旅所にお参りして祝詞をあげていた。午後一時ごろになると、一天にわかにかき曇り、大雨が竹野川に降って、みるみるうちに田も畑も海のようになってしまったが、お旅所だけは少し小高いところにあったので、水のなかにぽっかりと浮いたようになった。神姫は宮へ帰ることができず、何度も祝詞をあげていた。午後二時ごろになると、依遅ヶ尾から'''炭のような真黒い雲'''が下りてきた。この雲に乗って、依遅ヶ尾の大蛇が神姫に逢いに来たのだった。しかし、姫に近寄ろうとしても、斎神社の威光に打たれ、神社に近づくことができなかった。それから何千年もの間、大蛇は二百十日の午後二時ごろ、依遅ヶ尾から炭のような黒雲に乗って、後の立岩の沖へ出てくる。年をとったのか、二百十日を間違えて二、三日早く来たり、四、五日遅れて来たりするようになった。(『丹後の民話』第三集)</blockquote>
 
=== 蛇の息子 ===
語り手・小倉たつ枝(丹後町・鞍内)
<blockquote>むかしあるところに、お爺さんとお婆さんとが住んでいて、お爺さんがある日に畑打ちにいったら、かわいげな卵が出てきたそうな。ほで、「これはまあなんの卵だ知らんけど、きれいなんだし」思って、持ってもどって、いろりのふちにちょっと置いといた。そいたら、それがポカンと割れて、かわいげな蛇が出た。ほで、お爺さんとお婆さんはその蛇を、子供もにゃあし、子供みたいに大事にしてふじいう名をつけた。ほで山からもどると、「ああふじや、もどったで」言うて、食べ物やっては大きいしとっただそうだ。<br>そいたら、だんだんだんだん大きくなって、もう、いろりのふちにおられんようになって、からだを床下に入れて、首だけ出やて食べ物むらってばおったそうだ。ほいからあまりに大きなるもんで、ふじに<br>「これはもう、これにはおれんが、どこに行く」言うたら、「依遅ガ尾いうとこに大きな池がある。ほいで、依遅ガ尾の沢行く」言うて。<br>「そうならまあ、依遅ガ尾の沢へ連れていったろう」言うて、その大きな池へ連れて放すだった。<br>ほうしたところ、それが大きな大蛇になって、通んなる人を飲むですわ。ほで、だあれもそれをよう殺さんですし、お殿さんから、ふれが出て<br>「依遅ガ尾の大蛇を殺した者にはほうびをやる」言うて。ほで、あっちもこっちも行くんですけど、みな飲まれてしまって、だあれもよう討たなんだ。その話をお爺さんが聞いて<br>「これぁ、われぁもうほっておけん」言うことで、その池のふちい行って、コーンコーンと手を叩いて、「ふじやあ」いうて呼んだそうだ。そいたら、大きな大蛇がのろのろと出てきた。ほで<br>「お前はわしに討たれるか」言うたら<br>「うん」言うて、こう、うなずいたそうな。それで、お爺さんは鉄砲で.ハァーンと撃ったら、その蛇の死体がそこいぱあつと上がった。ほで、そいでお殿さんからものすごいごほうびをもらって、お爺さんとお婆さんは安楽に暮らしたそうだ。(『京都の昔話』(昭58・京都新聞社))<ref>[https://tangonotimei.com/bunken5.html 丹後の伝説:5集]、丹後の地名(最終閲覧日:24-12-19)</ref></blockquote>
=== 鬼退治伝説 ===
== 関連項目 ==
* [[早太郎]]:長野県の犬神
* [[蛇の息子]]:依遅ガ尾山の大蛇について。
== 脚注 ==

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