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==== 花喜山城光寺縁起・慈住寺縁起 ====
[[天照大御神|天照大神]]が八上行幸の際、行宮にふさわしい地を探したところ、一匹の白兎が現れた。白兎は[[天照大御神|天照大神]]の御装束を銜えて、霊石山頂付近の平地、現在の伊勢ヶ平まで案内し、そこで姿を消した。'''白兎は月読尊のご神体'''で、その後これを道祖白兎大明神と呼び、中山の尾続きの四ケ村の氏神として崇めたという<ref>中国神話では玉兎は嫦娥の供、あるいは嫦娥の化身とされており、[[啓思想]]1-2型の変換がみられる。月読命には兎のトーテムがあるようである。また、道祖神的な機能もあるようである。</ref>。
== ツクヨミの表記 ==
皇大神宮の別宮・月讀宮や<ref>http://www.isejingu.or.jp/about/naiku/tsukiyomi.html, 月読宮, 神宮司庁, 日本語, 2017年6月25日</ref>、豊受大神宮別宮・月夜見宮に祀られる<ref>http://www.isejingu.or.jp/about/geku/tsukiyomi.html, 月夜見宮, 神宮司庁, 日本語, 2017年6月25日</ref>。また、京都の[[月読神社 (京都市)|月読神社]]<ref group="注釈">松尾大社(京都府京都市西京区)摂社</ref>は壱岐市の月讀神社から勧請を受けたものである<ref>笠井倭人 「葛野坐月読神社」『式内社調査報告 第1巻』 式内社研究会編、皇學館大学出版部、1979年。</ref>。日本百名山や出羽三山で知られる月山(ガッサン,1984m,山形県)の名称は、山頂に鎮座する神社(月山神社,旧社格:官幣大社)の祭神である月読之命に因んだものとされる。
=== 月讀神社・鹿児島市 ===
鹿児島市桜島横山町にある神社。祭神は月読命(ツキヨミノミコト)、邇邇芸命(ニニギノミコト)、彦火火出見命(ヒコホホデミノミコト)、鵜草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)、豊玉彦命(トヨタマヒコノミコト)、木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト) 。
== 私的解説 ==
月の神は、単なる天体の神ではなく、暦や時間とも関連する。そのため[[年神]]とも関連するように思う。また桜島に関する月讀神社の例にあるように「'''火山の神'''」としての性質があるように思う。そこから発展して「火の神」「[[竈神]]」「火から作りだす器の神」とも関連があるように思う。おそらく古代の人は流星を「月の欠片が流れている」と感じていたし、それが隕石となって地上に到達したときにもたらされる衝撃と、火山活動を関連づけて考えていたのだろう。火山の神が穏やかで鎮まり、暦による季節の変化にも問題がなければ、農作物の収穫の安定が得られる。山から'''降りてきて'''、山に戻っていく「田の神」信仰にも月神の存在が感じられる。
月神とは、どこかから「降りてくる」もので、祭祀も含め正しく扱えば人間の役に立ってくれるが、正しく扱わなければ災厄を起こすものであり、かつ人身御供を求める神だったと思われる。中国の[[竈神]]は、年末に天に戻り、新年にまた戻ってくる。彼の機嫌をとらないと、災いを持ってくるようである。
また年末・正月行事として「[[除夜]]([[除夕]])」という概念がある。中国では大晦日に「夕」という人身御供を求める化け物がでるので、これを除く習俗が必要とされる。「夕」とは「月の出の時間」のことも意味し、大晦日には疫神である月神の「夕」が地上に餌を求め降りてくる、という概念があったかもしれないと思う。降りてきたものは天に返さねばならない、ということで火を燃やしたり、大きな音を鳴らした、とのことで、日本ではこれが「除夜の鐘」となったと考える。韓国の正月行事には「タルチッテウギ」(「月の家を燃やす」)という、月の出に火を燃やす行事がある。これも元は[[除夕]]の行事であって、月神を天に戻すことに関する祭祀だったのではないだろうか。
日本の現在の祭りでもそうだが、収穫を神に感謝する際には、収穫物の一部を神に捧げて、感謝の意を示すと共に、言外に今後の安寧も願うものであると思う。収穫物の一部を神に捧げて、今後の豊穣も願う、というのはわずかな収穫物を数倍にも倍増する新たな収穫に「'''化生させる'''」神事ともいえ、神に捧げるものを「人」とすれば『「=== 月読命と須佐之男命について ===月読命と[[須佐之男命]]は「同じ神」と考える。そもそも日本の[[年神]]とは[[須佐之男命]]の別形態といえるのだが、暦に関する神でもあるとすれば、月読命の別形態ともいえる。また、月読命も[[人身御供須佐之男命]]」を捧げて収穫物他に化生させる』と変換し得る。現実には生きた人を生きたまま神に捧げても、あるいは殺して捧げても、他の植物や動物に化生することはないのだが、  「収穫物とは'''大事なもの'''である」から「'''大事なもの'''を神に捧げると数倍にも倍増する新たな収穫に化生する」そして「'''大事なもの'''とは妻(あるいは家族の女性)である」も「妻殺し」の神で性質が一致している。
=== 月読命と天目一箇神について ===
天目一箇神の別名を[[弥加宜神社|天御影大神]]という。産業に関する火の神ともいえ、月読命の別名と考える。
という=== 月読命と月の女神について ===「火山の神」が「月神」を兼ねるのであれば、女神に関してもそのように述べることができるのではないか、と考える。鹿児島市の月讀神社には木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)が祀られており、この女神は富士山の女神として有名である。そして富士山も火山である。これを「桜島の女神」として捉えた場合、[[啓思想神阿多都比売]]6-1型及び(あるいは)6-3型の思想に基づいて変換が行われた結果、妻や娘を殺してなにがしかの豊穣を得ることが「祭祀」として正当化されることになったと考える。おそらく古代における現実の人間の歴史の中で、'''祭祀者階級にあった何者か'''が自らの女性の家族を殺し、それを正当化するために「'''家族を殺して生贄に捧げることが正当な祭祀である'''」と変換して殺人の責任逃れを果たしたのであろう。管理人にとってはその象徴が'''啓'''であるため、これを「とした方が相応しいと考える。木花咲耶姫命、[[啓思想神阿多都比売]]」と呼んでいる。は「月の女神」としての性質が強い女神かと考える。
籠神社では[[啓思想豊受大神]]によって定義された月読命や須佐之男は「'''妻殺し'''」の正当化を象徴する神といえる。が月の女神にもなる、としており、[[天照大御神保食神]]はそれを非難しているのだから、「'''妻殺し'''」を正当化しない神の象徴であるいえる。これは「日月分離」にこと寄せて、日本神話において、それぞれの神の思想と立場を明確にした神話と考える。 === 月読命と須佐之男命について ===月読命と[[須佐之男命豊受大神]]は「常世信仰」において、どちらも「常世の木の神」という位置づけになり、「同じ神」といえる。(「と同一視されるのであれば、[[常世神#私的解説豊受大神]]」参照のこと) {| class="wikitable" style="margin:auto"|+ 月読命とと似た性質の女神達にも「月女神」としての要素が含まれると考える。月読命は[[須佐之男命保食神]]|-! 女神 !! 樹木 !! 樹木神|-| [[嫦娥]] || 桂 || 月読命([[蚩尤]])|-| [[織女]] || 桑 || [[須佐之男命]]|-| [[常世神]] || 橘 || 常世(竜宮)の王?|}を殺すのだから、月の女神は、月の男神に倒される存在といえる。そして、火山の女神とした場合には、「疫神」としての性質もあるように思う。女神を「月の女神(火山の女神)」としてしまうと、時に彼女は倒されなければならない存在になってしまうし、夫の「月神」に倒される、ということになってしまうようである。
== 参考文献 ==
* [[天月神命]]:秦氏系と思われる汎用性の高い月神
* [[須佐之男命]]:月読命と同じ神。
** [[年神]]
** [[竈神]]
** [[除夜]]
** [[除夕]]
** [[年獣]]
** [[左義長]]
* [[ディオニューソス]]:植物神であり、「殺す神」であるところが一致している。月がもたらす「狂気」と関連している。
* [[祝融型神]]
* [[桂男]]:月にある桂の木を切り続ける男のこと
* [[常世神]]:月読命の'''妻'''といえる神
== 起源 ==
* [[嫦娥]];不老不死の薬を持って逃げた月の女神である。
 
=== 馬をトーテムとする神 ===
* [[鯀]]
== 注釈 ==
[[Category:日本神話]]
[[Category:月神]]
[[Category:黄帝型神]][[Category:炎帝型神]][[Category:須佐之男命型神祝融型神]]
[[Category:医薬神]]
[[Category:樹木神]]
[[Category:天候神]]
[[Category:時間神]]
[[Category:暦神火山神]][[Category:妻殺し疫神]]
[[Category:牛]]
[[Category:馬]]
[[Category:兎]]

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