差分

ナビゲーションに移動 検索に移動
2,549 バイト追加 、 2024年12月19日 (木) 12:41
編集の要約なし
『古事記』によると、唖の[[誉津別命|本牟智和気王]](誉津別命)が呪いを解くべく出雲国に赴く際に、そのお供をするべき人物として誰が良いのかという占いをすると、曙立王が当選した。そこで、曙立王が「うけい」をすると、地に落ちて一度死んだ鷺巣池のサギが蘇り、また一度枯れた甘橿丘の樫の樹木が蘇った。そこで垂仁天皇は彼に'''倭者師木登美豊朝倉曙立王'''(やまとはしきとみとよあさくらの あけたつのおおきみ、「大和の磯城・鳥見・朝倉の曙立王」という意味)という名を与え、さらに[[菟上王]]をもお供にして、出雲を訪問させたという<ref>『古事記』中巻、垂仁天皇条</ref>。
一説に曙立王が唖の皇子の伝承と関係を持っているのは、伊勢の佐那造がこれを語り伝えたためであるとされる。伊勢の佐那近辺は古より水銀の産地として知られるが、尾畑喜一郎は佐那造が古代の水銀採掘に携わった人々であるとし、気化した水銀を長時間呼吸することによって喉の病を患い、その職業病が誉津別命と曙立王の伝承を結びつけたとしている。谷川健一も、『日本書紀]』巻第六に現れる「天湯河板挙」と鍛冶氏族との関連性を述べ、「本牟智和気」という皇子の名前は金属精錬の実態を表現していると述べている一説に曙立王が唖の皇子の伝承と関係を持っているのは、伊勢の佐那造がこれを語り伝えたためであるとされる。伊勢の佐那近辺は古より水銀の産地として知られるが、尾畑喜一郎は佐那造が古代の水銀採掘に携わった人々であるとし、気化した水銀を長時間呼吸することによって喉の病を患い、その職業病が誉津別命と曙立王の伝承を結びつけたとしている。谷川健一も、『日本書紀』巻第六に現れる「天湯河板挙」と鍛冶氏族との関連性を述べ、「本牟智和気」という皇子の名前は金属精錬の実態を表現していると述べている<ref>『白鳥伝説』(上)p220 - p228、集英社文庫、1988年</ref>。
== 佐那神社 ==
境内の南を佐奈川が流れる<ref name="hb"/>。
 
== 私的解説 ==
欠史八代の最後に来る開化天皇は実在性に乏しい天皇である。本来であれば、天皇家とは異なる氏族の先祖を天皇家に結びつけるための天皇と考える。
 
曙立王は、本来であれば「生け贄に捧げられた神」であり、この神の犠牲によって、サギが蘇ったり、木が再生したりしたのではないか、と考えるが、天皇家の系譜にまとめる際に、[[伏羲]]的な祭祀や占いを行う神に変更されているのではないか、と考える。後の時代の源義仲の「'''朝日将軍'''」の例ではないが、「朝日」や「曙」といった言葉は若いうちに非業の死を遂げた者であることを連想させる。
 
'''多気郡多気町'''という地名は「多久」という地名に通じる言葉と考える。佐那神社は、古くは[[多伎都比古命]]を祀っており、それを(父である)[[アメノタヂカラオ|天手力男命]]が倒した、というような伝承があったかもしれないと思う。女神も共に祀られていたとすれば、名前から'''若沙那賣神'''であった可能性は高いかもしれない、と考える。曙立王は[[多伎都比古命]]を置き換えたものだと考える。また、この神を出雲系の系譜に組み込んだものが飯入根([[出雲建]])ではないのだろうか。
 
このように考えると、佐那造の神々は、本来
 
* [[アメノタヂカラオ|天手力男命]](父)、'''若沙那賣神'''(娘)、曙立王(息子)
 
であって、'''若沙那賣神'''と曙立王が佐那造の祖であるし、'''若沙那賣神'''が佐奈川の女神でもあった、と考えられる。'''若沙那賣神'''はわざわざ、羽山戸神と大気都比売神の娘神とされている。羽山戸神は'''[[須佐之男命]]'''の別名とも考えられるので、これには、[[アメノタヂカラオ|天手力男命]]を[[須佐之男命]]と習合させようとする目的もあったかもしれないと考える。
== 関連項目 ==
* [[多伎都比古命]]:佐那神社の本来の祭神ではないだろうか。* [[出雲建]]:曙立王を出雲系の系譜に組み込むための別名ではないだろうか。* [[菟上王]]:兄弟神。本来の神話では、曙立王はこの神に殺された神かもしれないと考える。* [[狭穂姫命大宜都比売]]:暗に母神としての位置にいると思われる女神である。
== 脚注 ==
{{デフォルトソート:あけたつのおおきみ}}
[[Category:日本神話]]
[[Category:日本神話伏羲型神]][[Category:田子]][[Category:大森]]

案内メニュー