* 似たような伝承は日本の各地に見られ、それらの根幹は古事記にある三輪山伝説であると考えられている<ref name="chiisagata_46-47" />。
* 『小県郡史 余篇』によると、寺があるとされる鉄城山は殿城山またはデッチョウ山とも呼ばれ、その支峰が独鈷山であると記されている<ref>『小県郡史 余篇』NDLDC:965787/25 24 - 25ページ。</ref>。のちに再編された作品の中では独鈷山という名前に置き換えられている<ref name="shinano">『日本の民話 1 信濃の民話』175 - 183ページ。</ref>。
* [産川という川の名前は、大蛇が赤子を産んだという逸話に由来する<ref name="chiisagata_46-47" />。また、産川の流域に散らばる[沸石は蛇骨石と呼ばれ、それらは死んだ大蛇の[遺骨であるという。また、産川の流域に散らばる沸石は蛇骨石と呼ばれ、それらは死んだ大蛇の遺骨であるという<ref name="chiisagata_46-47" />。
* 小泉山は、その山じゅうの萩を小太郎が刈り尽くしたため、以来1本も萩が生えなくなったという<ref name="chiisagata_46-47" />。とは言え、現代では萩の繁茂が見られるようである<ref name="chiisagata_46-47" />。
* 小太郎とその子孫は当地に永住したが、彼らの横腹には蛇紋のような斑点があるという<ref name="chiisagata_46-47" />。
それはともかく、'''八須良雄命'''とは、その名の通り「'''厄払いの神'''」と考えられ、'''八須良姫命'''と対応するのであれば、'''大国主命'''のこと、と言わざるをえない。また小菅神社の近くには白竜湖という湖があるが、須坂市高梨には、これといった湖がない。かつて須坂・中野に拠点のあった高梨氏は飯山市の近くまで領地があったそうなので、小太郎伝説に出てくる白龍が滞在している湖は、「'''高梨氏の領地の湖'''」という意味で、'''飯山の白竜湖'''でも良いと思うのだ。そして、白龍が水神でもある'''大国主命(犬神)'''であるならば、それに対応するのは'''八須良雄命'''ともいえる。飯山の'''八須良雄命'''が安曇野と関係するのか、といえば、関係する、と管理人は考える。
小菅神社方面から、斑尾山の南を回って信濃町に向かい、そこから戸隠方面に向かう古来からの街道がある。古くは修験道の行者が使用した道と考える。戸隠から鬼無里・信州新町方面へ向かえば、鬼無里から安曇野に抜けられるし、信州新町からは東信の丸子町方面へ抜ける道がある。修験道の道は山間部の中を網の目のように広範囲に広がっている。行者たちの力を借りれば、飯山の'''八須良雄命'''を'''八面大王'''に変換して安曇野まで運ぶなどたやすいことなのだ。
=== 大洪水の再現 ===
小太郎と母龍が、川が流れている狭い渓谷を掘削したら、それまで溜まっていた水がどっと下流に流れ出ることは明らかだ。古代の人でもそのくらいのことは理解していたと思う。そうすれば下流でで洪水が起きることは必須だ。これは[[伏羲]]・[[女媧]]の神話の大洪水になぞらえた話でもあるし、小太郎自身が「'''大洪水を起こす神'''」としても表されているように思う。これは、「'''自分に従わなかったら大洪水を起こすぞ。'''」という支配者の理論にも通じないだろうか。'''疫神'''でもあり、支配者層の祖神でもあった小太郎の一面が垣間見えるような思いがする。
=== 八須良雄命と八面大王 ===
北東アジアの各地の神話を比較検討するに、王家の祖神としては中国神話における[[祝融]]に相当する神が充てられているように思う。この[[祝融]]は伝承によっては、[[黄帝]]と父子と受け取れる伝承がある火神であり、かつ[[黄帝]]と戦う神でもある、という複雑な神だ。そのため、この神を始祖とすると、その父は[[黄帝]]に相当する神になるのだが、敵が存在する場合には、その敵も[[黄帝]]に相当する神になるため、[[祝融]]的な神は、神話としては父を敬う神になるのか、父を殺す神になるのか、敵に相当するものを父神とは分けて別の形の怪物にでもしてしまうか、ともかく国主の祖神に相応しくある程度のモラル感、ある程度の勇猛さ、ある程度の寛大さ、ある程度の謙虚さ、ある程度の公僕感をもたせて、かつ整合性のある神話を語るのに、非常に苦労する神なのだ。それに併せて、父とされる[[黄帝]]的な神も、偉大なる帝王である善神の[[黄帝]]から、英雄に倒される怪物的悪神まで、非常に性質の振り幅が大きい神となっている。中国神話の段階からすでにそうなっており、悪神的な[[黄帝]]は遅くとも良渚文化の頃には登場していたと思われる。
大国主命は日本神話における[[黄帝]]的な神である。国を統一し、開拓した神として描かれる。しかし、中国神話の黄帝になぞらえている部分が多い神なので、やはり善神から悪神まで'''性質の振り幅が大きい神'''なのだ。なのだ。出雲神話に'''八束水臣津野命'''(やつかみずおみつののみこと)という神がいて、力持ちの巨人神である。管理人はこの神も大国主命の一形態と考えているし、長野県の'''八須良雄命'''と近縁姓の高い神ではないか、と考えている。なぜ'''八束水臣津野命'''に似た神が当初、信濃金刺氏の祖神とされたのか、その理由は諏訪の縄文系の人々の間に'''[[ダイダラボッチ]]'''という巨人神が信じられていたため、彼らになじみやすいように似た神を祖神に設定したのではないか、と思う。 しかし、その後、国全体の氏族の神話がまとめられていく中で、信濃金刺氏は賀茂系氏族ではなく、'''[[神八井耳命]]'''を祖神として天皇系の系譜に連なる氏族とすることにしたため、尾張物部氏に通じる'''八須良姫命'''と'''八須良雄命'''は諏訪大社の祭神から外されてしまったのではないかだろうか。上社の方は、出雲の大国主命に連なる系譜の'''建御名方富命'''を祭神に採用して、出雲の神々との繋がりを残し、下社の方は'''八須良姫命'''を'''八坂刀売'''と変えて、これを安曇族の神である穂高見命の妹神へと再編しなおした。下社の女神も当初は'''八須良姫命'''や'''宮簀媛'''のような尾張物部氏系の女神だったものが、政治的状況の変化により豊玉毘売のような安曇族系の女神に変えたと思われる。というよりも、諏訪下社系の信仰では、豊玉毘売がそのまま八坂刀売の別形態のように扱われる傾向がある。記紀神話では豊玉毘売は天皇家の先祖に嫁いだかのような設定になっているが、長野県ではこれとは異なる取り扱いをしているように思う。 そして、信濃金刺氏の祖は、'''[[神八井耳命]]'''の子孫の武五百建命として、諏訪大社の神々の子孫の位置から外し、その妻に諏訪系の女神として諏訪神の娘神とされる'''会津比売'''を据えることで、諏訪大社との繋がりを示すこととなったと思われる。水内大社の「彦神別神」は当初、古い諏訪神である'''八須良雄命'''の子神とされ、次に'''建御名方富命'''の子神とされて金刺氏の祖神とされていたものが、神々の系譜の再編の中で、うまく'''[[神八井耳命]]'''の子孫として再編することができなかったか、あるいは意図的に再編しなかったかして、「'''金刺氏が奉祭する諏訪神の子神'''」という曖昧な地位に置かれることになったと思われる。民間伝承化した小泉小太郎の方は、政治的都合で系譜が再編されることなく、竜女神的な'''八須良姫命'''と竜神かつ犬神的な水神白龍('''八須良雄命''')の子神として語りつがれたのだと思う。これはまさに'''彦神別神の神話が民間伝承化したもの'''と管理人は考える。そのため、管理人が再現した神話ではそのような設定にしてみた。 だいたい、小太郎が信濃金刺氏の祖神神話の民間伝承化したものだからこそ、安曇野や東信といった離れた地域に似た名前の伝承があるのだと考える。金刺氏が長野県中に展開して東信にも存在したからだ。東信の小太郎が、山中の「'''荻'''」を刈ってしまうのは、神話的にはかなり「'''ご愛嬌'''」の部類だと思う。長野市信州新町の古名は「'''荻野'''」といって、この辺りも北信の金刺氏の拠点だったので、同族といえど、東信の金刺氏には、北信の金刺氏に対して、かつて何か心情的に面白からざることがあって、「'''荻に象徴される連中など山中から消えてしまえばいいのに。'''」と思ったことがあったのかもしれないと想像してしまう。いわば「'''呪い'''」のようなものにも感じる。長野県の歴史を見ると、管理人があれこれ想像することはあるが、それは泉小太郎とは直接関係ないので、ここには書かない。 === 修験道との関わりについて ===管理人が再現した泉小太郎の両親は、「'''悪者の役行者と戦った'''」という設定にしてみた。長野市大岡に'''樋知大神社'''(ひじりだいじんじゃ)という神社がある。この神社がある聖山も古来より修験道の盛んな山で、当初は「高梄(こうゆう)の山」と呼ばれたとのことだ。「梄」という言葉には「たきぎ。かがりび。木を積んで燃やす。柴をたいて天の神をまつる。また、その祭礼。」という意味だそうなので<ref>[https://kanji.jitenon.jp/kanjiy/12224 漢字「梄」について]、漢字辞典Online(最終閲覧日:24-11-25)</ref>、かつては何か火を燃やすような祭祀を行う聖なる山だったのかと思う。聖山は水源の山でもあって、かつ雨乞いの山でもあった。樋知大神社の境内内には、'''お種池(田苗池・種苗池)'''と呼ばれる湧き水の池があり、干ばつの際には大岡地区ばかりでなく、長野市川中島や篠ノ井、東筑摩郡筑北村などからも人々が訪れ、雨乞いの祈願をしたといわれている<ref>[https://nagano-citypromotion.com/nagalab/favorite/favorite12579/ 樋知大神社(ひじりだいじんじゃ)]、ナガラボ(最終閲覧日:24-11-25)</ref>。樋知大神社の祭神は武水別命(たけみずわけのみこと)あるいは水波女命、水神系の神を祀る。武水別命は諏訪神の子神とされ、樋知大神社式内社・武水別神社の論社の一つである。樋知大神社の隣には真言宗宗高峰寺という寺があり、明治維新までは聖大権現として神を祀り、紀州・熊野権現から水玉(水器)をいただき、社僧・神職と共に奉仕していた<ref>[https://genbu.net/data/sinano/hijiri_title.htm 樋知大神社]、玄松子(最終閲覧日:24-11-25)</ref>。 雨乞いの際に、現代でも <blockquote>石祠の周りを冷水に耐えて歩き、水を濁すと滋雨が降るといわれている。雨が降ったときに池の水が濁ることが由来だそう。儀式では代表者が石祠に御神酒を注ぎ、周囲を3回まわりながら棒で池底をつついて水を濁す。<ref>[https://nagano-citypromotion.com/nagalab/favorite/favorite12579/ 樋知大神社(ひじりだいじんじゃ)]、ナガラボ(最終閲覧日:24-11-25)</ref></blockquote> という祭祀を行っているとのことである。賀茂系の日本人は、三輪山伝承とか、玉依姫の婚姻譚とか「つつく話」が好きだなあ、と思う。かつてなにがしかの火を燃やす祭祀も山で行っていたのであれば、この雨乞いの祭祀は下社のお船祀りに類する祭祀がよくよく簡略化されたものと考える。「雨乞い」という観点からは、やはり干ばつを起こす疫病神を慰撫して鎮める、というものであると思う。「石祠に御神酒を注ぐ」点は、[[黄帝]]の一形態である[[羿]]に[[祝融]]に相当する息子が酒を飲ませて殺した宴の再現劇、「周囲を3回まわる」のは[[祝融]]の一形態である[[伏羲]]が、妻を殺すために追い回した惨劇の再現劇、「池底をつつく」のは[[黄帝]]に殺された[[蚩尤]]を[[祝融]]に生まれ変わらせるための再現劇、また「池の水が濁る」というのは、[[伏羲]]と[[女媧]]の'''大洪水の神話の再現劇'''で、全体としては干ばつの神様に 「'''こうして生まれ変わらせてあげたのだから、祟らないでください'''」 という趣旨の祭祀と思われる。疫病神を生まれ変わらせたら逆に祟るのでは? と思うのだけれども、これが祖神の「彦神別神」でもあるので、慰撫した後にどこかに捨てに行こう、とかそういう発想はよくよく乏しいように思う。おそらく祭神の武水別命は、元は出早雄命かあるいは速瓢神といって、水神でもある犬神だったと思われる。水波女命を祭神とすれば、これは 「疫病神を生むために殺された女神」 となるので、趣旨としては犀龍と同じ女神といえる。聖山で燃やしていた薪が、正確には「何の薪」だったのかは分からない。柴などの薪であれば、犬神とその妻をばらして焼く火であったと思われる。小泉小太郎の伝承の通り、もし'''萩の薪'''だったりしたら「彦神別神」を頂く犀川西岸の荻野の金刺氏に対する嫌がらせといえる。聖山は犀川の東側にあって、古代においては東信の文化圏に入るので、山で何を燃やしたのかは気になるところである。 ということで、樋知大神社は最終的に真言宗高峰寺の管轄になり、祭祀も寺で行っていた。別に修験道の僧侶の皆様が悪い、とかそういうわけではないのだが、そうなることで古い時代の神々の本当の姿が減じたり、滅したりしたものがあるのではないか、と思う。仏教の影響がなければ、本来の犬神と龍女神の婚姻譚が池に残っていて、泉小太郎の伝承は'''聖山だけで完結してしまった'''のではないか、と管理人は考える。信州新町の側から見ると、この山にどのような状態で雲がかかるのかは天候の変化を知るための重要な情報なのだ。聖の山は降水を司る重要な山と考えられたので、そこに重要な祖神を祀ったのが、山の祭祀の起源ではなかったか、と考える。 また、松本市の鉢伏山もそうだが、牛伏寺のおかげで、山頂に祀られていた本来の神の名前や機能がかなり散逸しているように思う。伝承をあれこれ研究していると、元の神の姿が良く分からなくて「'''金峯山の蔵王権現が邪魔だ'''」と思うことは割と良くある。ということで、古い神々を散逸させてしまう、少し「悪い存在」として修験道の開祖・役行者を少し再現伝承に取り入れてみた。古い伝承を愛する管理人の個人的なささやかな恨みも込めて。 === Appendix ===ところで、泉小太郎が、彦神別神と同じものであるのは、ともかくとして、中国の[[ミャオ族]]の伝承などと比較すると、泉小太郎は「'''何かの生まれ変わり'''」ということになるようである。一体何の生まれ変わりなのか。その内に考察してみたいと思う。
== 参考文献 ==
== 関連項目 ==
* [[肥長比売]]
* [[布施八龍大権現]]:長野市信更地区の犬神信仰に関連していそうな伝承などをまとめてみた。
== 外部リンク ==
[[Category:吊された女神]]
[[Category:祝融型神]]
[[Category:文化英雄]]
[[Category:疫神]]
[[Category:雨乞い]]