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ある日のこと、種の里を出た狭姫は巨人の足跡に出くわした。土地のものに聞くと、大山祇巨人のことだという。巨人が迫って、土地の者は逃げ出した。狭姫も逃げ惑ったが、小さい身体ゆえどうにもならない。命からがら逃げ帰った狭姫だが、巨人たちがいると安国を造ることはできないと考えた。
赤雁の背に乗って出かけた狭姫だったが、とある山に空いた大穴からいびきが聞こえてくる。「そこにいるのは誰か?」と問うと、「自ら名乗らず他人の名を訊くとは何事だ」と返ってきた。声の主はオカミ(淤加美神])といって大山祇の子だった。恐ろしくてならない狭姫だったが、勇気を振り絞って、では直接お会いしたいと強い調子で申し出ると、オカミは「我は頭が人で体が蛇だから神も人も驚いて気を失うだろう。驚かすのよくないことだ。それより我が兄の足長土に会い給え」と言って急に調子を改めてしまう。赤雁の背に乗って出かけた狭姫だったが、とある山に空いた大穴からいびきが聞こえてくる。「そこにいるのは誰か?」と問うと、「自ら名乗らず他人の名を訊くとは何事だ」と返ってきた。声の主はオカミ(淤加美神)といって大山祇の子だった。恐ろしくてならない狭姫だったが、勇気を振り絞って、では直接お会いしたいと強い調子で申し出ると、オカミは「我は頭が人で体が蛇だから神も人も驚いて気を失うだろう。驚かすのよくないことだ。それより我が兄の足長土に会い給え」と言って急に調子を改めてしまう。
狭姫は考えた。オカミは雨を降らす良い神だが、大山祇巨人と足長土<ref>足長土は「あしなづち」、また手長土は「てなづち」とも読み、八岐大蛇神話に登場する足名椎命と手名椎命に掛けている。手長足長が元。</ref>はどこかに追いやらなければらない。
赤雁に乗って国中駆け回った狭姫は三瓶山]赤雁に乗って国中駆け回った狭姫は'''三瓶山'''麓を切り開いて巨人たちを遊ばせることを思いつく。
帰路についた狭姫は巨人の手長土に出会った。「夫はいるか?」と問うと、「かような長い手ですもの」と手長土は自らを恥た。「私も人並み外れたちびだけど、種を広める務めがある。御身にも務めがあるはず」といって、狭姫は足の長い足長土を娶せた。手の長い手長土と足の長い足長土は夫婦で力を合わせて幸せに暮らしたという。オカミは後に八幡の神と入れ替わって岡見にはいないが、今でも時化の前には大岩を鳴らして知らせてくれるという。
益田市の郷土史家である矢富熊一郎は古代クシロ族の鎌手大浜からの上陸と石西、石央への移住といった伝承を取り上げ、狭姫伝説は中世には成立していたと考察している。が、江戸時代の地誌である「石見八重葎」には乙子周辺の地名説話は収録されているものの、狭姫伝説は収録されていない。文献で確実に遡ることができるのは雑誌「島根評論」石中号に収録された堀伏峰「石中遊記」に引用されている大賀周太郎「郷土の誉れ」までである。
 
== 私的解説 ==
中国の神話では、雷の女神([[雷母]])は赤い雷光と白い雷光を持つ、とされているので、「赤雁」とは「[[赤い稲光]]」のことで、乙子狭姫とは稲光の女神(小さな雷女神)であることが分かる。母親の雷神(この場合は[[大宜津比売]])が殺される女神であり、乙子狭姫が生きている女神であることから、'''大宜津比売は弥生系の雷女神、乙子狭姫は縄文系の雷女神であって、この2つが一つに纏められている'''のが乙子狭姫の伝承といえると考える。弥生系の女神が上位(母親)となっているのは、弥生系の人々の政治的優位性などの現れであると思う。その一方、上位の神も、下位の神も女神であるところは、強い母系社会の文化が存在していたことを伺わせる。
 
豊後国風土記には「白い鳥が餅を経て[[サトイモ]]に化生した」という話があり、こちらも雷神が生きたまま食物の産生に関わる神であったことが示唆される神話で、乙子狭姫の伝承と近縁性が高い物語と思われる。
== ゆかりの地 ==
* [[雷母]]
* [[后稷]]
* [[サトイモ]]:生きている雷神の話
== 参考文献 ==
[[Category:穀物神]]
[[Category:開拓神]]
[[Category:石見国]][[Category:女神]][[Category:霊鳥]][[Category:化生神話医薬分身型女神]]

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