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4,821 バイト追加 、 2024年11月15日 (金) 01:12
ともかく、諏訪大社の神紋は上社、下社で共通して「'''三つ梶'''」なので。これは'''天御梶日女命'''と'''八坂刀売'''を「[[三神婆]]」的な同じ女神とすれば、'''八坂刀売'''のこと、とすべきではないだろうか。おそらく古代の諏訪大社は、'''上社に下光比売命と建御名方富命、下社に八坂刀売と阿遅鉏高日子根(賀茂別雷命)'''を祀っていた別々の神社だったと考える。長野市信州新町の健御名方富命彦神別神社の境内社の諏訪社に「'''武彦根神'''」という神が祀られている。これは阿遅鉏高日子根のことと思われ、かつては諏訪にこの神も祀られていた名残かもしれないと考える<ref>信州新町史 下巻、1979、p1400</ref>。
 
=== 韓国の蝶女神 ===
「胡蝶の由来」という伝承がある。
 
<blockquote>昔、一人の娘がいた。娘には婚約者がいたが、結婚前に婚約者は亡くなった。娘は婚約者の墓に行って、「あの世でも夫婦になりたい。婚約者と同じ墓に入りたい。」と言って泣いた。墓が割れたので、娘は中に飛び込んだ。娘が飛び込むと墓は元に戻って、ふちに娘の着ていた裳の裾がわずかに残った。付き添っていた召使いが裾をひっぱると、裾は細かく裂け、蝶になって飛んで行った。これが蝶の始まりだという<ref>韓国昔話集成 4、崔仁鶴他編、p72-75</ref>。</blockquote>
 
解説によると、これは中国で有名な「'''梁山伯と祝英台'''」という伝説の後半だということだ。男性が先に死に、女性がその後を追いかけて死ぬ。まるっきりメソポタミア神話の「'''エンリルとニンリル'''」そのままだ、と管理人には感じられる。同系統の話なので、ミャオ族の蛾王はエンリル的な死者だし、樹に閉じ込められて、子だけ産まされているメイパンリュウもニンリル的な死者なのだ。そもそもニンリルはエンリルが生き返るための子供を生むためだけに殺されてしまう気の毒な女神なのだ。ということは、「梁山伯と祝英台」も、メイパンリュウと蛾王の神話から派生したものと考えられる。それは「'''禹と塗山氏女'''」が民間伝承化し美化された物語だったのだ<ref>少し脱線するけれども、祝英台が「男装する」というのは、これも一種の'''「死」の暗喩'''だと考える。だって、女性が男装していたら「'''女としては死んでいるも同然'''」だから。</ref>。
 
 
ちなみに、ヨーロッパでは、樹から生まれた最初の人類の女性はエムブラという。おそらくメイパンリュウから派生したものと考える。
 
=== 申し訳ないと思うわけ ===
管理人がミャオ族に申し訳ないと思うことは、一つは上記した、多氏の一部による「'''古代詐欺宗教事件'''」である。先祖の神を使って、人様を騙して金儲けのネタにするとはまさに「'''親不孝'''」な話だ。共通の先祖の蝶神を敬いもしないで、食い物にするような同族で本当に申し訳なく思う。
 
 
それからニュウシャンは本来は、とても崇められていた太陽女神だったのに、そのままの形で伝承に残させてあげることができなくて、これも申し訳なく感じるのだ。彼女の姿の変節が激しいのは祝融に相当したと思われる男性の先祖が「'''自分が太陽神だ'''」と言いたいがためだけに反対派を協力に弾圧したからなのだと思う。ミャオ族の先祖は太陽女神を残すことができず、そのうえ中原で残された記録には、無理矢理な形で悪者扱いされている。このことを本当に申し訳なく思う。たぶんそうやってミャオ族を陥れようとしたのは、我が家の先祖の誰かだと思うからだ。
 
でも、日本でも賀茂系氏族の中には「'''偉大な太陽女神'''」は残されていない。残されているのは'''皇祖神としての天照大御神'''で、皇室と強い婚姻関係はあっても、賀茂系氏族と皇室は基本的に「'''別の家系'''」だから。なぜ、皇祖神に太陽女神が配置されたのかといえば、それは縄文系の人々の存在が大きかったのではないか、と想像している。言語学的に、日本語はアルタイ語系とオーストロネシア語系が混じっている、と言われている。台湾発のオーストロネシア語族はミャオ族から分かれたものと推察され、ミャオ族の古い時代の伝承が多く残されている。それが、縄文系日本人に伝播したので、彼らの中に古いミャオ族の「太陽女神信仰」が強く残されていて、政治的に打ち消すことができなかったため残された、と想像する。それでも朝廷に出仕している貴族達の中で賀茂系の人々は有力な氏族だったと思うので、おそらく賀茂系氏族が反対する中、皇祖神に天照大御神を持ってきたのは、本当に記紀神話編纂者達の並々ならぬ努力の結果だったと思う。でもそのおかげで、現代の私達は、古代のミャオ族が「太陽女神」のことをどのように敬っていたのか、その片鱗を知ることができるのである。
== 関連項目 ==

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