==== 遠野三山 ====
岩手県[[遠野]]では、坂田村麻呂が東征の時に奥州に[[国津神]]の後胤という「玉山立烏帽子姫」という女神がおり、その美貌から[[蝦夷|夷]]の[[酋長]]岩手県遠野では、坂田村麻呂が東征の時に奥州に国津神の後胤という「玉山立烏帽子姫」という女神がおり、その美貌から夷の酋長[[大岳丸]]に言い寄られるも応じることはなかった。田村麻呂は[[勅使]]を奉じて東北の地に下だり、この立烏帽子姫の案内によって蝦夷を討伐し、頭領である大岳丸を[[岩手山]]で討ち取った。立烏帽子姫は田村麻呂と夫婦の契りを結びに言い寄られるも応じることはなかった。田村麻呂は勅使を奉じて東北の地に下だり、この立烏帽子姫の案内によって蝦夷を討伐し、頭領である大岳丸を岩手山で討ち取った。立烏帽子姫は田村麻呂と夫婦の契りを結び[[田村義道]]と[[松林姫]]の一男一女を産んだ。義道は奥州[[安倍氏 (奥州)|安倍氏]]の祖であり、松林姫はお石、お六、お初の三女を産んだ。お石は[[守護神]]であるの一男一女を産んだ。義道は奥州安倍氏の祖であり、松林姫はお石、お六、お初の三女を産んだ。お石は守護神である[[祓戸大神|速佐須良姫]]の[[御霊代]]を奉じ[[石上山]]に登った。お六はの御霊代を奉じ石上山に登った。お六は[[速秋津比売神|速秋津比売]]の御霊代を奉じ[[六角牛山|六角牛]]に登った。お初はの御霊代を奉じ六角牛に登った。お初は[[瀬織津姫|瀬織津比咩]]を奉じ[[早池峰山|早池峯]]に登ったというを奉じ早池峯に登ったという<ref>[[佐々木喜善]]『佐々木喜善全集 III』([[遠野市立博物館]]、1992年)222項。佐々木喜善『佐々木喜善全集 III』(遠野市立博物館、1992年)222項。</ref>。
=== 宮城県 ===
[[宮城県]][[白石市]]に鎮座する[[田村神社 (白石市)|田村神社]]では鈴鹿神女として夫である坂上田村麻呂と共に祀られている。田村将軍が東征の際に宮城県白石市に鎮座する田村神社では鈴鹿神女として夫である坂上田村麻呂と共に祀られている。田村将軍が東征の際に[[悪路王]]や赤頭という荒土や[[丹砂]]を塗って化けた妖魁を鈴鹿御前の援助で討伐したのでこの地に2人を祭祀した{{Sfn|<ref>阿部|, 2004|pages=116, pages116-117}}</ref>。
=== 秋田県 ===
[[天明]]5年(1785年)湯沢に滞在した[[菅江真澄]]が土地の老人から聞いた話では、松岡の切畑山(現[[秋田県]][[湯沢市]]内)に天明5年(1785年)湯沢に滞在した菅江真澄が土地の老人から聞いた話では、松岡の切畑山(現秋田県湯沢市内)に[[あくる王]]という鬼がおり、その妻「立烏帽子」は鬼の術で夜ごと鈴鹿山から通っていたが、夫婦ともに田村利仁に斬られたという<ref>「小野のふるさと」(『菅江真澄全集 1』未来社、1976年)</ref>。『田村三代記』の登場人物である田村利仁としていることから、『田村三代記』が語られた江戸時代以降に創出されて成立した伝説と考えられる。
=== 三重県・和歌山県 ===
[[紀伊半島]]南部に位置する[[熊野]]では『紀州熊野大泊観音堂略縁起』に「紀伊半島南部に位置する熊野では『紀州熊野大泊観音堂略縁起』に「[[大嶽丸|鬼神魔王]]が蜂起して日本で人々を殺害し困らせたため、[[平城天皇]]が坂上田村麻呂に鎮定を命じた。田村麻呂は伊勢鈴鹿から出陣して凶徒を退治するものの、討ち漏らしたものたちが熊野へ逃げて深山幽谷に身を隠した。八鬼山、九鬼、三木などで敵を討つものの鬼王はしぶとく逃れて、行方がわからなくなった。田村麻呂は高山に登って「立烏帽子」を心に念じ一心に祈ると、雲の中で天女が南の海辺の岩屋(が蜂起して日本で人々を殺害し困らせたため、平城天皇が坂上田村麻呂に鎮定を命じた。田村麻呂は伊勢鈴鹿から出陣して凶徒を退治するものの、討ち漏らしたものたちが熊野へ逃げて深山幽谷に身を隠した。八鬼山、九鬼、三木などで敵を討つものの鬼王はしぶとく逃れて、行方がわからなくなった。田村麻呂は高山に登って「立烏帽子」を心に念じ一心に祈ると、雲の中で天女が南の海辺の岩屋([[鬼ヶ城]])に悪鬼([[金平鹿]])が隠れていると告げて消えた」と田村麻呂の手助けをしている{{Sfn|<ref>桐村|, 2012|pages=12, pages12-16}}</ref>。
=== 京都府 ===
[[京都]][[祇園祭]]の[[山車|山鉾]]のひとつ「[[鈴鹿山 (山鉾)|鈴鹿山]]」は、鈴鹿御前が「悪摩」、あるいは鈴鹿山の鬼「立ゑぼし」を退治した伝承に基づくという京都祇園祭の山鉾のひとつ「鈴鹿山」は、鈴鹿御前が「悪摩」、あるいは鈴鹿山の鬼「立ゑぼし」を退治した伝承に基づくという<ref name="#2">宝暦7年(1757年)刊「祇園会細記」(真弓常忠編『祇園信仰事典』戎光祥出版、2002年)</ref>。この故事にちなんで鈴鹿権現([[瀬織津姫|瀬織津姫尊]])を祀り、金の[[烏帽子]]に[[長刀|大長刀]]を持つ女人の姿であらわしている)を祀り、金の烏帽子に大長刀を持つ女人の姿であらわしている<ref>{{Cite web|url=http://www.gionmatsuri.or.jp/yamahoko/suzukayama.html|title=, 鈴鹿山 | , 山鉾について|publisher=, 祇園祭山鉾連合会|accessdate=, 2018-8-31}}</ref><ref name="#2"/>{{Sfn|<ref>阿部|, 2004|pages=91, pages91-92}}</ref>。
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|author=Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E9%B9%BF%E5%BE%A1%E5%89%8D 鈴鹿御前](最終閲覧日:22-10-31)** 阿部幹男|authorlink=阿部幹男|title=, 東北の田村語り|publisher=[[, 三弥井書店]]|series=[[, 三弥井民俗選書]]|date=, 2004-01-21|, isbn=:4-8382-9063-2|ref=harv}}* {{Cite book|和書|author=* 桐村栄一郎|authorlink=桐村栄一郎|title=, 熊野鬼伝説-坂上田村麻呂 英雄譚の誕生|publisher=[[, 三弥井書店]]|date=, 2012-1|, isbn=:978-4-8382-3221-5|ref=harv}}* {{Cite book|和書|author=関幸彦|authorlink=* 関幸彦|title=, 英雄伝説の日本史|publisher=[[, 講談社]]|series=[[, 講談社学術文庫]] 2592|date=, 2019-12-10|, isbn=:978-4-06-518205-5|ref=harv}}* {{Cite book|和書|author=* 内藤正敏|authorlink=内藤正敏|title=, 鬼と修験のフォークロア|publisher=[[, 法政大学出版局]]|series=, 民俗の発見|date=, 2007-03-01|, isbn=:978-4-588-27042-0|ref=harv}}
== 関連項目 ==
* [[鈴鹿流坂上田村麻呂伝説]] - [[薙刀術]]の流派。片山神社の鳥居横に「鈴鹿流薙刀術発祥之地」と彫られた石碑が建つ<ref>児玉幸多監修『東海道五十三次を歩く〈5〉四日市~鈴鹿峠琵琶湖~三条大橋 』(講談社、1999年)</ref>。
* [[悪玉姫]]