差分

ナビゲーションに移動 検索に移動
 ともかく、ヴェマーレ族の最上位の男性といえるトゥワレの役割は、「'''管理人(父親)'''」といえる。トゥワレはおそらく「外」から来た者で、ヴェマーレ族ではないかもしれない。一般的に母系社会では「父親」というものは存在しないし、必要もされないのだが、トゥワレの存在は「父親」ではなく「管理人」として、ヴェマーレ族を支配している存在にとって必要性がある、といえる。ムルア・サテネやアメタはヴェマーレ族の中では支配する側であったり、支配する側に通じる特殊な立場、といえるので、立場的にも、そして実際にもトゥワレの生物学的な「子供」である可能性はある。トゥワレは望めばヴェマーレ族の女性を囲い込むことだってできるので、その場合には生まれてきた子供達はトゥワレの子供で間違いない、ということになる。ムルア・サテネは母系社会ではトゥワレを補佐する立場として、人々のリーダーになるかもしれない。アメタはムルア・サテネとトゥワレの両方に奉仕する立場になる。とすれば、下位トゥワレである一般的なヴェマーレ族の男性も、社会的にはムルア・サテネとトゥワレの両方に奉仕する存在である。そして、アメタと男性達はヴェマーレ族よりも下位の部族を管理・支配する時はトゥワレのように振る舞わなければならない。」といえる。トゥワレはおそらく「外」から来た者で、ヴェマーレ族ではないかもしれない。一般的に母系社会では「父親」というものは存在しないし、必要もされないのだが、トゥワレの存在は「父親」ではなく「管理人」として、ヴェマーレ族を支配している存在にとって必要性がある、といえる。ムルア・サテネやアメタはヴェマーレ族の中では支配する側であったり、支配する側に通じる特殊な立場、といえるので、立場的にも、そして実際にもトゥワレの生物学的な「子供」である可能性はある。トゥワレは望めばヴェマーレ族の女性を囲い込むことだってできるので、その場合には生まれてきた子供達はトゥワレの子供で間違いない、ということになる。ムルア・サテネは母系社会ではトゥワレを補佐する立場として、人々のリーダーになるかもしれない。アメタはムルア・サテネとトゥワレの両方に奉仕する立場になる。とすれば、下位トゥワレである一般的なヴェマーレ族の男性も、社会的にはムルア・サテネ(母親)とトゥワレ(父親)、場合によってはアメタ(長男)に奉仕する存在となる。そして、アメタと男性達はヴェマーレ族よりも下位の部族を管理・支配する時はトゥワレのように振る舞わなければならない。そのような場合には'''父親'''こそが模範である。
== その他の神話 ==
=== 后稷(中国の神話) ===
'''后稷'''(こうしょく)は、伝説上の周王朝の姫姓の祖先。中国の農業の神として信仰されている。姓は姫、諱は弃、号は稷。不窋の父。
また、彼はもともと奔('''捨てられし者''')という名であったが、農業を真似するものが多くなってきたため、帝舜が、農業を司る者という意味の后稷という名を与えたとされている。
彼の一族は引き続き夏王朝に仕えたが、徐々に夏が衰退してくると、おそらくは匈奴の祖先である騎馬民族から逃れ、暮らしていたという。
『史記』周本紀によれば、帝嚳の元妃(正妃)であった姜嫄が、野に出て マロ祭は「ヴェマーレ族の庶民のための祭り」といえる。そこでは、自由恋愛も母系社会の伝統も認められる。ただし、支配階級であるトゥワレ、ムルア・サテネ、アメタはそこには参加しない。だって、それは「家畜」の祭りだから。家畜が許される範囲で生殖のための祭り、トゥワレ達を讃える祭りをすることは許される。かくして、ヴェマーレ族はトゥワレという「'''巨人巨大な管理人(支配者であり父親であるもの)に支配された母系社会'''の足跡を踏んで妊娠し、1年して子を産んだ。姜嫄はその赤子を道に捨てたが牛馬が踏もうとせず、林に捨てようとしたがたまたま山林に人出が多かったため捨てられず、氷の上に捨てたが飛鳥が赤子を暖めたので、不思議に思って子を育てる事にした。弃と名づけられた<ref>后稷は獣には良く懐かれていた。</ref>。弃は棄と同じ意味の字である。『山海経』大荒西経によると、帝夋(帝嚳の異名とみなす説が有力)の子とされる。」という社会を形成することになる。こうして近親の女性(母親、姑)のみは尊重される'''近親優位母系社会'''は形成されるのではないだろうか。 ==== 母親をラベリングする社会の問題点 ==== 母親によって、人の身分秩序や立場、場合によっては職能を分類すると大きく2つの問題が生じるように思う。  一つは、何らかの理由で、親に捨てられたり、幼い内に生き別れになってしまったりした場合、その人はいったいどの部族に属するのか、自分でも分からなくなってしまう、という問題である。偶発的な事件や事故はいつの時代でも起こりえるので、代が下るに従って、自分の所属が分からなくなる人はどんどん増えることになる。  もう一つは、階級があまりに固定されすぎて、女性が交わることのできる男性が特定の部族に限定されすぎてしまうと、近親相姦が増え、遺伝子の多様性が失われて、結局は健常な子供が生まれにくくなる、という問題が生じる。各部族が互いに平等であれば、どの部族からよその部族の女性に通っても、同じ部族の女性に通ってもあまり差は生じないが、「階級」というものが生じてくれば、女性は自身と子供の立場の安定のために、上の階級の男性に通って貰いたがるようになるかもしれない。  ただし、ハイヌウェレ型神話では、これらのことが問題として語られることはない。そのため本項では問題の提示に留める。 ==== サテネとアメタの怒りの意味 ==== これまでの考察からココヤシを母に持つハイヌウェレは母系社会の概念では「ヴェマーレ族(バナナ)ではない」ということになる。彼女が一般のヴェマーレ族の祭りに、他の女性達と同じ立場で参加を求めることは父親のアメタがヴェマーレ族であることによるので、ムルア・サテネやアメタがハイヌウェレをヴェマーレ族である、とみなしていたのなら、それは'''父系'''の考え方といえる。'''母系'''の思想を持つ一般のヴェマーレ族には、ハイヌウェレは単なる芋に過ぎないので、他の女性達と同じ立場、同じ権利を求めるとは「図々しい」ということになる。同じヴェマーレ族の中でも、上位に位置するムルア・サテネ、アメタと、下位の一般のヴェマーレ族との間、すなわち彼らの社会階級の間でどれだけ'''父系'''を尊重するかで差が生じていることが分かる。ハイヌウェレの死に対して、サテネとアメタが怒りを示しているのだから、少なくともこの二者の間では、ハイヌウェレをヴェマーレ族の娘として扱う、という取り決めがあったと思われる。それが一般の人々に周知されなかったので、人々はハイヌウェレを芋として扱った。周知されていなければ、彼女が残酷に扱われることはサテネやアメタにはあらかじめ予想ができたのではないだろうか、ということになる。ということは、ハイヌウェレは意図的にサテネとアメタによって「死ぬ運命の祭祀」に追いやられたのではないだろうか、とそのような疑問が沸く。しかし、そうであればハイヌウェレが死んでもサテネとアメタが怒る理由はない。そうなることは分かっていたからである。 ==== 罰を受ける人々と女性 ==== 「ハイヌウェレの死」に関して罰を受ける人間は3種類存在する。ハイヌウェレの死が予定調和であれば、ある意味「罰を受けた」ともいえるのはハイヌウェレのみ、ということになるが、それも意図的なものであれば冤罪といえる。その内容は以下の通り # ハイヌウェレ:他のヴェマーレ族の女性のように振る舞わなかったので、罰として殺された。# ヴェマーレ族の人々:ハイヌウェレを殺害したために、他の動物に変えられたり、不死の生命を失った。# ムルア・サテネ:ヴェマーレ族の間から姿を消した(「死」の暗喩といえる)。  1項のハイヌウェレの死は、「食物起源神話」としては、後述の后稷の神話のように、「死体が植物(穀物や芋類)に化生した」という単純な死体化生の神話が、社会学的な群像劇ともいえる大きな神話に取り込まれたものと考える。おそらく植物のそばに死体を植えると、肥料になって植物が良く育つ、という現象から生じた神話ではないだろうか。特に芋類を栽培する人々は焼畑農業を行い、経験的に灰が肥料になる、ということも知っていたであろうから、人や動物を焼いた灰から栽培植物が発生した、と考えても不思議ではない、と思う。社会という組織が発展してくると、「生贄」という名前の「肥料」を選ぶのに、社会的な基準というものが必要とされたかもしれない、と思う。曰く、「悪いことをした罪人である」とか、単に「身分が低いことそのものが悪である」というような考え方である。あるいは「生贄」ということに神秘的な意味を敢えて持たせたければ、特殊な身分の人を選んだり、場合によっては上位の身分の人を敢えて拉致するような形で選ぶようなこともあり得たかもしれない。后稷の場合は、特に生贄にされたわけではないけれども、人外ではない「巨人」の子として描かれていたりして、彼に神秘的な側面を持たせている。  2項のヴェマーレ族の人々の変化(変身)は、ヴェマーレ族が多くの動物、精霊、氏族の先祖である、という由来譚が組み込まれたものと考える。変化したものは、ヴェマーレ族から分かれたものなのだから、当然「親」としての権利はヴェマーレ族にあると思われ、単なる由来譚だけでなく、発生したものたちに対するヴェマーレ族の優位性、支配性を示して正当化する目的も含まれていると考える。「罰」の意味については後述する。  3項のムルア・サテネは、物語の中では自発的に姿を消すことにはなっていて、他者から「罰を受けている」という要素は乏しくなっている。しかし、彼女が「身を隠す」ことが一種の「引責辞任」のような性質を帯びていたとすれば、彼女は人々のリーダーとしての役割を果たせなかった点について、自ら責任を取る、という形で罰を受けて姿を消したのかもしれない。
弃は成長すると、農耕を好み、麻や菽を植えて喜んだ。帝の舜に仕え、農師をつとめた。また后稷<ref>農事を司る官名で、これが諡号とされた。</ref>の官をつとめ、邰<ref>周の領地。現在の中国陝西省。</ref>に封ぜられて、后稷と号した。『山海経』には、中国南部にある食物神・后稷の そして、本項の最大の問題は、「'''墓の周りハイヌウェレの死が予定されていた意図的なもの'''には、」であるなら、なぜ人々はその死の責任を取り、サテネもこの世を去らねばならなかったのだろうか、ということに尽きる。現代的に考えれば、子供の身の安全を守るのは、まず第一に親でなければならない。とすればアメタにはハイヌウェレの身の安全に気を配り、危険な祭りに行かせなかったり、危険が及ばないように護衛をつけたりする義務があった、と言えないだろうか。現代的に考えればアメタには「親としての監督義務」があった、と思われるが、それは果たされていない。その代わりにサテネや人々が責任を負って罰を受ける、というのであれば、彼らは'''穀物が自然に生じているアメタの身代わりとなって罰を受けた'''との記述がある。ともいえる。物語の中で、人の生死に関わる問題を起こしても罰されない者が二人居る。それは、'''アメタ'''と'''トゥワレ'''である。よって、彼らは'''社会的地位が高く、何をやっても罰されることがない'''存在だ、ということが分かる。彼らの行動に落ち度がある場合、より地位の低いサテネや人々が罰を受けなければならない。例えば、天災などが起きた場合に、人々は神に祈っても祈りが届かなかった、と感じる。神が絶対的な存在であって、罰を与えることができなければ、神と人との間に入ったシャーマンや神官の働きが悪い、とされる文化はままある。また、すぐに思い当たる節がなくても、漠然と人々の行いが悪いから天罰が下った、などと考えるかもしれない。とすると、本来シャーマン的であり、媒介としての地位にあったアメタの地位はトゥワレに近いもの、あるいは'''トゥワレと同じくらい高いもの'''とより高くなっており、逆にサテネの方が本来の絶対的女神の地位から'''責任を負わなければならない下位の者'''へとより低くなっていることが分かる。でも、サテネの地位はシャーマンや媒介のようには変化していないので、そのようなことが本来の彼女の役目ではないことが分かる。そして、'''シャーマンが支配者である神と同格の地位に立つこと'''は、現実の人間の世界では'''専制君主の誕生'''ということになるのではないだろうか。専制君主とか彼らこそが王でもあり、神でもある絶対的な存在である。アメタはヴェマーレ族の中で、そのような地位にいる。そして、自らハイヌウェレを死に追いやりながら、その責任を直接の殺人者達(人々)に転嫁できるほどの権力を持っていた。
死後、子の不窋が後を嗣いだ。==== まとめ ==== ハイヌウェレ型神話は、食物、特に植物の起源神話というに留まらず、古代において母系社会だったものが、どのように父系社会へと変遷したのかの過程が含まれる興味深い神話である。日本や封建時代の中国では、よその家から来た嫁が嫁いじめを受けるが、何故か同じ女性である姑は威張っている、という文化の源泉がハイヌウェレ神話の思想と同じところにあることが分かる。
== その他の神話 ==
=== エンキドゥ(メソポタミア神話) ===
'''エンキドゥ'''(シュメール語: 𒂗 , 𒆠 , 𒆕 - EN.KI.DU<sub>3</sub> - '''Enkidu''') は、『ギルガメシュ叙事詩』の登場人物で、ギルガメシュの無二の親友である<ref name="ike">池上(2006)p.117</ref>。
ハイヌウェレ型神話は、東南アジア、オセアニア、南北アメリカ大陸に広く分布している。それらはみな、芋類を栽培して主食としていた民族である。イェンゼンは、このような民族は原始的な作物栽培文化を持つ「古栽培民」と分類した。彼らの儀礼には、生贄の人間や家畜など動物を屠った後で肉の一部を皆で食べ、残りを畑に撒く習慣があり、これは神話と儀礼とを密接に結びつける例とされた<ref name=yoshida154-155>『世界神話事典』「ハイヌウェレ」の項(吉田、pp. 154–155)</ref>。
日本神話の[[大宜都比売]]や[[保食神]](ウケモチ)・ワクムスビにもハイヌウェレ型の説話が見られる<ref name=yoshida151-152>『世界神話事典』「ハイヌウェレ」の項(吉田、pp. 151–152)</ref><ref>大林, 19791, pp141–142</ref>。しかし、日本神話においては、発生したのは宝物や芋類ではなく五穀である。よって、日本神話に挿入されたのは、中国南方部から日本に伝わった話ではないかと仮説されている<ref>大林, 19791, p142</ref>;<ref>大林 太良 , 大林太良<!--Obayashi, Taryo--> , 稲作の神話 , 弘文堂 , date:1973 , pages23–137を引用。</ref>。 === 私的考察 ===管理人個人の私見では「生贄の人間」は原則的な意味では「'''共同体の外の人間'''」である。共同体の中から選ばれる場合には「罪ある者」とされたり、単に「白羽の矢が立つ」といった、特別に該当者を「共同体の外の人間」と扱う目安というか基準のようなものが必要と思われる。また、后稷の例のように「死体から穀物・芋類が発生する」のであれば、本来、特に生贄に性別の定めはなかった、と考えられるのではないだろうか。 日本については、縄文時代に[[サトイモ]]が渡来しているので、[[サトイモ]]の流入と共にハイヌウェレ型神話が入り込んで来ており、縄文系の母系社会に適した形でまず定着したと思われる。その後弥生の人々と稲作文化(強力な水稲耕作文化)が流入して、日本神話の[[大宜都比売]]や[[保食神]]の神話に纏められたのだと考える。
== 参考文献 ==
* Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%8C%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%AC%E5%9E%8B%E7%A5%9E%E8%A9%B1 ハイヌウェレ型神話](最終閲覧日:22-07-13)
* Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8E%E7%A8%B7 后稷](最終閲覧日:22-07-17)
* Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%89%E3%82%A5 エンキドゥ](最終閲覧日:22-07-17)
* '''大林太良、吉田敦彦 , 世界の神話をどう読むか , 青土社 , 1998 , p122-127'''
== 関連項目 ==
* [[ハイヌウェレ]]
* [[サトイモ]]
* [[馬頭娘]]
* [[序列殺人]]
* [[后稷]]
== 参照 ==
[[Category:ココヤシ]]
[[Category:月]]
[[Category:ハイヌウェレ]]
[[Category:殺される神]]
[[Category:バラされる神]]
[[Category:化生神話]]

案内メニュー