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836 バイト追加 、 2025年1月12日 (日)
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;矢矧三宝大荒神社 
:矢助が矢を作ったとされる場所
 
== 八面大王に関する伝承 ==
* ヤマドリ女房が主体のもの
** [http://bellis.sakura.ne.jp/k/tegalog.cgi?postid=209 山鳥の征矢(そや)]
== 私見 ==
* 平安時代:皇姓仁科氏 → 承久の乱で上皇方につき、乱後の処分で直系は断絶、関氏(桓武平氏)から養子を迎える。
* 鎌倉~戦国:関姓仁科氏 鎌倉~戦国:関姓(平姓)仁科氏 当主仁科盛政は、臣従した武田氏に翻意あり、として処刑され、直系は断絶。武田氏(仁科五郎盛信最後の当主仁科盛政は、臣従した武田氏に翻意あり、として処刑され、直系は断絶。武田氏(仁科五郎盛信<ref>長野県の子供は、小・中学校(特に公立学校)で県歌「信濃の国」を覚え込まされるわけですが、「仁科五郎盛信」は歌詞の中に登場する有名人物である。だから、生粋の長野県人は全てその名前を知っている、と言っても過言ではない、と思うのですが、歴史を学んで「武田の子なら長野県人じゃないんじゃん?」と私のように突っ込んでしまう人はどれくらいいるのだろうか、と思う。</ref>)が跡目を相続する。
** 盛政の子供達は、飯縄神社の神主「千日次郎太夫」の養嗣となり、神官として明治維新まで存続した。
** 仁科氏の支族は、平姓仁科宗家・武田両氏滅亡後、上杉氏に臣従し米沢藩士として仕えた者、小笠原氏に出仕した者に分裂したが、多くは兵農分離で帰農した。
と、複雑な歴史を辿った家系であり、多くの支族を排出したが、直系は「武家」として存続することが結局は「できなかった家系」といえる。安曇野に残った多くの支族は、仁科神明宮など、仁科氏ゆかりの寺社を直系に代わり、守り支えてきており、一族の結束は固かったと思われる。江戸時代に入って安曇野全域で「魏石鬼八面大王」の伝承が現在の形のように整えられたのは、仁科氏の先祖の偉業を語り継ぐためであったのではなかろうか、と思う。それが、より知名度の高い有力な武将である坂上田村麻呂の「東征伝説」と結びつけられることで、より広まったのではないだろうか。と、複雑な歴史を辿った家系であり、多くの支族を排出したが、直系は「武家」として存続することが結局は「できなかった家系」といえる。安曇野に残った多くの支族は、仁科神明宮など、仁科氏ゆかりの寺社を直系に代わり、守り支えてきており、一族の結束は固かったと思われる。江戸時代に入って安曇野全域で「魏石鬼八面大王」の伝承が現在の形のように整えられたのは、仁科氏の先祖の偉業を語り継ぐためであったのではなかろうか、と思う。それが、より知名度の高い有力な武将である坂上田村麻呂の「東征伝説」と結びつけられることで、より広まったのではないだろうか。直接仁科氏の英雄が退治した形式にしなかったのは、帰農した支族が多く、自らの先祖の武勇を誇る、というよりは「英雄を助けた」という形式にした方が江戸時代の仁科氏全体の事情にとって「しっくりきた」からではないだろうか。
=== 伝承の成立が比較的新しい、と感じる点について ===
 物語には「八面大王を倒すには三十三節のヤマドリの尾羽が必要である」とされているものがあり、それを「助けて貰った恩返し」として「天人女房」風のヤマドリの化身の妻が提供した。しかし、提供した妻は(それが原因で?)失踪した、という筋書きのものがある。しかし、尾羽が長いヤマドリは「'''雄'''」であって、雌ではないので、まず「伝承的」にその点に矛盾を感じる。神話を起源にした古い伝承は、「性差」というものは重要な要素であり、「羽衣を隠される天人は女性である」というような一定のパターンが存在する。西欧の伝承では、妻が異類なのではなく、夫が異類の動物である場合には、姿そのものを見てはならない、という禁忌や、被っていた動物の皮を捨て去ってしまうことが物語の次の展開に繋がるものはあるが、広く世界を見回しても、男性の天人が女性に羽衣を奪われて、無理矢理夫にされる、というような話はまずないのではないだろうか。つまり、「雄のヤマドリの尾羽が必要なのに、雌(女性)が自己犠牲的に尾羽を提供する」という筋書きに「そもそもそれは雌のヤマドリのものではない(どこから盗んできたのか?)。」と感じてしまい、美談とはなり得ないような矛盾を感じてしまうのである。ヤマドリは雌雄の姿の差がはっきりしている鳥なので、いくら昔の人でも雄雌の区別がつかなかった、ということもあり得ないのではないだろうか。」であって、雌ではないので、まず「伝承的」にその点に矛盾を感じる。神話を起源にした古い伝承は、「性差」というものは重要な要素であり、「羽衣を隠される天人は女性である」というような一定のパターンが存在する。西欧の伝承では、妻が異類なのではなく、夫が異類の動物である場合には、姿そのものを見てはならない、という禁忌や、被っていた動物の皮を捨て去ってしまうことが物語の次の展開に繋がるものはあるが、広く世界を見回しても、男性の天人が女性に羽衣を奪われて、無理矢理夫にされる、というような話はまずないのではないだろうか。つまり、「雄のヤマドリの尾羽が必要なのに、雌(女性)が自己犠牲的に尾羽を提供する」という筋書きに「そもそもそれは雌のヤマドリのものではない(どこから盗んできたのか?)。」と感じてしまい、美談とはなり得ないような矛盾を感じてしまうのである。ヤマドリは雌雄の姿の差がはっきりしている鳥なので、いくら昔の人でも雄雌の区別がつかなかった、ということもあり得ないのではないだろうか。古代からの神話としては重要な「性差」を厳密に取り扱っていない点に、すでに古い神話の意義が薄れつつあり、物語としての筋書きの面白さ等が重要視される傾向にあると感じるのである。
 また、ヤマドリの妻に関しては、
* 「罰を受ける女神」のように、尾羽を提供したことがダメージとなって失踪の原因となった、というパターンと'''「罰を受ける女神」のように、尾羽を提供したことがダメージとなって失踪の原因となった'''、というパターンと* 「八咫烏」のように鳥が味方した方が勝利する、という2つのパターンが根底にあって組み合わさっており、'''「八咫烏」のように鳥が味方した方が勝利する'''、という2つのパターンが根底にあって組み合わさっており、
** 「鶴女房」のように禁忌を破ったことが失踪の原因となっていない。
** むしろヤマドリが「公共の福祉」のために自ら犠牲を払った。むしろヤマドリが'''「公共の福祉」のために自ら犠牲を払った'''。
という形式となっている。社会の形態が未成熟な古い時代の神話は、人身御供が植物に化生するハイヌウェレ神話のように、直接的な豊穣に結びつく物が多い。「公共の福祉」のために誰かが犠牲となる、という思想はそれだけ社会が発展し複雑化してから誕生した思想といえる。「妻」という立場の女性にそのような「犠牲」が求められる、というのは、ローマという国家の妻となった「'''ウェスタの巫女'''」を彷彿とさせる思想であるので、日本の伝承としては、古くは「橋姫」に繋がる思想であると思うが、物語的なバリエーションの一つとして成立した時代はそれほど古いものではないのではないだろうか。
* [[巨人 (伝説の生物)]]
* [[ヤマドリ]]
* [[両面宿儺]]
== 参照 ==
[[Category:巨人]]
[[Category:鬼]]
[[Category:疫神]]
[[Category:水神]]

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