=== 水神として ===
この女神に関する系譜には「水」を示す神が多く、「淵」という言葉がつく名前からも「水神女神」であることが示唆される。いわゆる「出雲」の神々の系譜に名が見える女神だが、出雲(島根県)にはこの女神を祀る神社はないようである。高知県香南市には物部川など、物部氏に由来すると思われる地名があることから、むしろ物部氏ゆかりの女神と考える。また、阿波忌部氏には「[[天石門別八倉比売神社|八倉比売]]」という「太陽女神([[天照大御神]])が死んで水神女神に変化した」という伝承を持つ女神がいる。この神話は[[ミャオ族|苗族]]を起点とした「太陽女神信仰の神話」としてはむしろグローバルに普遍的な神話だ、と管理人は考えるのだが、日本の記紀神話的から見ればやや奇異に感じられるかもしれない。しかし「'''物部氏系の氏族の神話'''」として見た場合には、海部氏の神話に[[天道日女命]]がその子の天香山命と共に丹後の開拓に関わったり、地上で余生を送った、という伝承があり、古くから太陽女神がその子神と共に地上に降臨し、開拓などを行った、という伝承があったものと思われる。
ただ、台湾の[[バルン]]神話や朝鮮の[[龍女]]のように、若い女性が入水して池の主になる、という伝承も同時に存在したと思われる。おそらく、開拓神話と入水神話の中庸的に、太陽女神であった始祖女神が入水などで死んで水神になった、という神話も元はもっと明確にあったのだろう。古代エジプトでは太陽女神であった獅子女神が失踪し、戻ってきて水神(河馬)の女神になり、それがラーや人々の守護神になる、という太陽女神から守護的な水神までの連続した神話と、合成獣神の概念がある。これが何かの都合で作り替えられて、開拓女神である岩見の[[乙子狭姫]]になったり、もっと普遍的に物部氏系氏族の水神女神、例えば石上神宮の布留御魂大神、広瀬大社の[[廣瀬大社|若宇加能売命]]、紀伊の[[丹生都比売神]]などに変化し、物部氏や物部氏から派生した忌部氏の移動と共に各地に拡がったものと見られる。おそらく出雲の[[秋鹿神社|秋鹿女神]]も同様の水神女神と思われる。
== 参考文献 ==