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、 2025年2月23日 (日)
'''渟名城入姫命'''(ぬなきいりびめのみこと、生没年不詳)は、記紀に伝わる古代日本の皇族。
『日本書紀』では「渟名城入姫命(淳名城入姫命)」「'''渟名城稚姫命'''(ぬなきわかひめのみこと)」、『古事記』では「'''沼名木之入日売命'''」と表記される。『古事記』では事績に関する記載はない。
第10代崇神天皇の皇女である。[[倭大国魂神]](奈良県天理市の大和神社祭神)に関する伝承で知られる。
== 系譜 ==
『日本書紀』『古事記』によれば、第10代崇神天皇と、妃の[[尾張大海媛]](意富阿麻比売、おおあまひめ)の間に生まれた皇女である。
兄弟姉妹として、両書では同母兄に[[八坂入彦命]](八坂之入日子命)、同母妹に[[十市瓊入姫命]](十市之入日売命)の名が記されるほか、『古事記』では長兄に[[大入杵命]](日本書紀なし)を挙げる。
== 記録 ==
『[[日本書紀]]』崇神天皇6年条によれば、百姓の流離や背叛など国内情勢が不安になった際、[[崇神天皇]]はその原因が[[天照大神]]・[[倭大国魂神]]の2神を居所に祀ったことにあると考えた。そこで天照大神は[[豊鍬入姫命]]につけて倭[[笠縫邑]]に祀らせ、倭大国魂神は渟名城入姫命につけて祀らせた。しかし、渟名城入姫命の髪は抜け落ちて体も痩せてしまったため、倭大国魂神を祀ることが出来なかったという{{Sfn|渟名城入姫命(古代氏族)|2010年}}。
また同書[[垂仁天皇]]25年3月条では、「一云」として、大倭大神が自分を祀るよう[[神託]]したので、[[中臣氏|中臣連]]祖の[[探湯主]]の[[卜占|卜]]によって「渟名城稚姫命」に祀らせたという。天皇は渟名城稚姫命に命じ、神地を穴磯邑(あなしむら:奈良県[[桜井市]]穴師)として大市(奈良県桜井市芝付近)の長岡岬で祀らせたが、姫の体は痩せ細り祀ることが出来なかった。そこで[[倭国造|大倭直]]祖の[[市磯長尾市|長尾市宿禰]]に祀らせることとしたという。この「渟名城稚姫命」は渟名城入姫命と同一人物とされる{{Sfn|渟名城入姫命(古代氏族)|2010年}}。
== 考証 ==
上記2つの記事は同じものとされ、いずれも[[奈良県]][[天理市]]の[[大和神社]]の起源譚になる。上記伝承からは、崇神天皇の血統では倭の国魂を祀ることが出来ないこと、その祭祀には[[倭国造]]([[倭氏|大倭直]])一族が関わることが特徴として指摘される{{Sfn|渟名城入姫命(古代氏族)|2010年}}。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{reflist}}
== 参考文献 ==
* Wikipedia:渟名城入姫命(最終閲覧日:25-02-23)
* {{Cite book|和書|editor=|author=|year=2010|chapter=渟名城入姫命|title=日本古代氏族人名辞典 普及版|publisher=[[吉川弘文館]]|isbn=9784642014588|ref={{Harvid|渟名城入姫命(古代氏族)|2010年}}}}
== 関連項目 ==
* [[倭大国魂神]]
* [[大和神社]]
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[[Category:日本神話]]
[[Category:崇神]]