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サイズ変更なし 、 2025年2月20日 (木)
* '''深淵神社'''(高知県香南市野市町西野):祭神:深淵水夜禮花命。式内社。'''物部川'''のほとりにある。創立年代詳かならず、古老の博説に拠るに、孝安天皇三十一年、神勅ありて曰く我此地に居ること久し、我は 深淵の水夜禮花命なりと言畢りて御身を隠くされたるにより、萬民深淵の神なりと崇め奉斎したるなり<ref>[https://genbu.net/data/tosa/fukabuti_title.htm 深淵神社]、玄松子(最終閲覧日:25-02-18)</ref>。近くに[[天石門別神]]を祀る大谷神社がある。
* 唐﨑神社(石川県七尾市小島町):祭神:息長足姫命、市杵嶋姫命、深淵水夜禮花命。唐崎大神は養老2年、能登置国にある志賀唐崎大神を勧請した<ref>[https://www.ishikawa-jinjacho.or.jp/shrine/j1295/ 唐﨑神社]、石川県神社庁(最終閲覧日:25-02-18)</ref>。
* 美濃夜神社(三重県津市芸濃町雲林院):主祭神:淤美豆奴神。配祀:深淵之水夜礼花神、火産迦具都智神、波迩夜須毘売神。式内社。伊勢国安濃郡。江戸時代は「溝淵大明神」と称し、水神を祀っていた。安濃川の上流にあって、川が錫杖ケ岳と摺鉢山との狭谷から平野部に出ようとするところの南岸山腹に鎭座している。景行天皇3年初めてこの地に金山彦命を祀ったと「伊勢惣国風土記」と「槁本家文書」には記されている。「延喜式神名帳考証」には美濃夜は「水之祖」みのおやの意であるとして祭神に彌都波能賣神をあげている。また本社を溝渕大明神と称えていたことから、雲林院家の御祖氏神を祀ったものとする説もあるが御祭神の中に子の神の御名は見えない。康和5年(1103)忍田地頭宗重の棟札が残されていることから雲林院氏抬頭以前、平氏の時代から衆人の崇敬が厚かったことが伺える<ref>[http://engishiki.org/ise/bun/is080605-01.html 美濃夜神社]、延喜式神社の調査(最終閲覧日:25-02-20)</ref>。雲林院氏は藤原南家工藤氏流で工藤祐経の三男祐長が、長野の地頭職となり安濃・奄芸二郡を給わった後、子孫が長野市氏を名乗り、更に伊勢に下向した子孫が興した家である<ref>[http://www2.harimaya.com/sengoku/html/ise_uzii.html 雲林院氏]、武家家伝(最終閲覧日:25-02-20)</ref>。
* 一御田神社(三重県津市[[一身田町]]) - 配祀
* 瀧川神社(静岡県富士市原田):主祭神:木花之佐久夜毘賣命、配祀:深淵之水夜禮花命。由緒:創建年月不詳。六所浅聞神社の新宮にして浅間神社と称し、後地名に依りて瀧川神社と改称せしという。同郡伝法村六所浅間神社の摂社と称した。依て本社領朱印高の内配当を受けた。叉神階帳には正三位十八所浅間御子明神の内なる所なるべしと言ふ。明治8年2月郷社に列し、同40年4月12日神饌幣帛料供進社に指定された。(静岡懸神社志原文)<ref>[https://humizuki.com/omaturi_zanmai/sight/jinja/fuji/takigawa.htm 郷社 瀧川神社]、お祭り三昧(最終閲覧日:25-02-18)</ref><br>富士山大噴火の際、「浅間大神」を祀り山霊を鎮めたのが始まりとされている。境内内はかぐや姫生誕の地と伝わる。周辺には「かぐや姫伝説」がみられる<ref>[https://ameblo.jp/chi-tan-1000/entry-12855735426.html 静岡県富士市瀧川神社の御朱印と竹採公園]、風薫る御朱印巡り2、そらいろ(最終閲覧日:25-02-18)</ref>。
* 富知六所浅間神社(静岡県富士市浅間本町):主祭神:大山祇命。相殿神:木花之佐久夜毘売命、深淵之水夜礼花神(当社では大山祇命の子孫とされるようである。)、阿波乃咩神、大山咋神、高龗神(「龗」は、雨の下に龍)。伝承では孝昭天皇2年6月10日、富士山山腹に創建と伝えられる。その後噴火のため延暦4年(785年)に現在の地に遷座したとされる。崇神天皇により四道将軍として派遣された建沼河別命は当社を厚く崇敬し、勅幣を奉った<ref>Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E7%9F%A5%E5%85%AD%E6%89%80%E6%B5%85%E9%96%93%E7%A5%9E%E7%A4%BE 富知六所浅間神社](最終閲覧日:25-02-19)</ref>。
* 美濃夜神社(三重県津市芸濃町雲林院):主祭神:淤美豆奴神。配祀:深淵之水夜礼花神、火産迦具都智神、波迩夜須毘売神。式内社。伊勢国安濃郡。江戸時代は「溝淵大明神」と称し、水神を祀っていた。安濃川の上流にあって、川が錫杖ケ岳と摺鉢山との狭谷から平野部に出ようとするところの南岸山腹に鎭座している。景行天皇3年初めてこの地に金山彦命を祀ったと「伊勢惣国風土記」と「槁本家文書」には記されている。「延喜式神名帳考証」には美濃夜は「水之祖」みのおやの意であるとして祭神に彌都波能賣神をあげている。また本社を溝渕大明神と称えていたことから、雲林院家の御祖氏神を祀ったものとする説もあるが御祭神の中に子の神の御名は見えない。康和5年(1103)忍田地頭宗重の棟札が残されていることから雲林院氏抬頭以前、平氏の時代から衆人の崇敬が厚かったことが伺える<ref>[http://engishiki.org/ise/bun/is080605-01.html 美濃夜神社]、延喜式神社の調査(最終閲覧日:25-02-20)</ref>。雲林院氏は藤原南家工藤氏流で工藤祐経の三男祐長が、長野の地頭職となり安濃・奄芸二郡を給わった後、子孫が長野市氏を名乗り、更に伊勢に下向した子孫が興した家である<ref>[http://www2.harimaya.com/sengoku/html/ise_uzii.html 雲林院氏]、武家家伝(最終閲覧日:25-02-20)</ref>。
* 一御田神社(三重県津市[[一身田町]]) - 配祀
* 白藤神社([[兵庫県]][[豊岡市]]大谷) - 主祭神

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