== 私的考察 ==
鍋塚古墳は竹内街道(ほぼ国道165号線)沿いにあり、古来大和盆地から大阪湾に抜ける重要な街道であった。司馬氏が「大和平野のむこうはし」というのは等彌神社(桜井市)がある辺りであって、『日本書紀』や『先代旧事本紀』に登場する「トミ」の比定地の一つである。鍋塚古墳のある地、等彌神社、登弥神社 がある辺りであって、『日本書紀』や『先代旧事本紀』に登場する「トミ」の比定地の一つである。鍋塚古墳のある地、等彌神社、[[登弥神社 (奈良市)]]は奈良盆地を囲んで三角形になる感じで位置している。鍋塚古墳がある辺りは葛城であって、長尾神社などが近くにあるため、この古墳は長髄彦の墓ではなく、葛木氏の有力者の墓だったのではないか、と個人的に思う。ただ、桜井市の等彌神社にも「尾」という字のつく社殿が目立ち、長尾神社と併せて、どちらも神社に「尾」のつく字を充てるのを好む人達が建てた神社なのではないか、と考える。どちらも同じ街道沿いにあるし、大和盆地の端にあるのだから、街道を守る氏族が大和盆地の西側と東側に別れて展開したものかと思う。国道165号線は東へ向かうと伊勢に到達するので、古くからの大阪と伊勢を結ぶ重要な街道だったのだろう。
== 外部リンク ==