<blockquote>村の名を、竹ノ内という。'''古代出雲の首長であった'''[[長髄彦]]の墳墓の地であり、長髄彦の妹婿(いもうとむこ)[[邇芸速日命|饒速日命]](にぎはやひのみこと)の子孫である武内宿祢(たけのうちのすくね)の出身の村でもある。古代大和の出雲族の根拠地の一つなのである。この村はどういうわけかは知らないが、大和平野のむこうはしの吉野川流域の村々と嫁婿(よめ・むこ)をもらいあう例が多い<ref>[https://www.zero-position.com/entry/2021/06/20/160000 【ナガスネヒコは出雲の首長】司馬遼太郎さんが書いた竹ノ内伝承【葛城と国栖の強い結びつき】]、ものづくりとことだまの国(最終閲覧日:25-02-06)</ref>。</blockquote>
直径40メートルの丸い形をした古墳、円墳で、つくられた時期は、古墳時代中期の前半(~西暦450年)頃と考えられている。市内の大きな古墳としては古いもので、葛城市北部で古墳がつくりはじめられるきっかけとなった古墳である。鍋塚古墳をつくったのは、竹内峠を越える交通路(現在の竹内街道)の管理を通じて実力をたくわえた、この地域の首長であったと考えられる<ref>[https://www.city.katsuragi.nara.jp/soshiki/rekishihakubutsukan/1/1/1829.html 鍋塚古墳(なべづかこふん)]、葛城市HP(最終閲覧日:25-02-06)</ref>。近くに長尾神社がある。
== 私的考察 ==
鍋塚古墳は竹内街道(ほぼ国道165号線)沿いにあり、古来大和盆地から大阪湾に抜ける重要な街道であった。