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➝ 第5代:天沼名桙命(アマノヌナホノミコト) ➝ 第6代:天御桙命(アマニミホコノミコト) ➝ 第7代:荒木臣命(アラキノオミノミコト)
➝ 第8代:'''[[邇芸速日命|櫛玉神饒速日命]]'''(クシタマカムニギハヤヒノミコト):物部氏の祖。
➝ 第9代:可美真手命(ウマシマデノミコト):兄弟の天香語山は尾張氏の始祖。
➝ 第20代:伊福部若子臣(イホキベノワクゴノオミ)は第19代・允恭天皇(在位西暦412~453年)頃の人物で天皇から「'''気吹部臣'''」を賜り伊福部臣と称した。
➝ 第21代:伊福部馬養臣(ウマカヒノオミ) ➝ 第22代:伊福部'''尓波'''臣(ニハノオミ) ➝ 第23代:伊福部阿佐臣(アサノオミ) ➝ 第24代:伊福部臣(ニハノオミ) ➝ 第23代:伊福部'''阿佐'''臣(アサノオミ) ➝ 第24代:伊福部'''颶飄臣'''(ツムジノオミ)。
➝ 第25代:久遅良臣(クヂラノオミ):第33代・推古天皇(西暦592~628年)頃の人物。西暦603年制定の冠位十二階の小智(従八位相当)を賜った。
== 関連する神社など ==
* 宇部神社:鳥取県鳥取市国府町宮下にある神社。式内社(名神大社)、因幡国一宮。祭神は武内宿禰命。伊福部氏の祖とされる。『神祇志料』は祭神を『国造本紀』にある因幡国造の祖先、'''彦多都彦命'''(ひこたつひこのみこと)としている<ref>Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E5%80%8D%E7%A5%9E%E7%A4%BE 宇部神社](最終閲覧日:25-01-22)</ref>。
* 伊富岐神社:岐阜県不破郡垂井町にある神社。美濃国二宮。社殿は東南東を向いており、伊吹山を背後にした形で造られている。 '''伊富岐神社''':岐阜県不破郡垂井町にある神社。美濃国二宮。社殿は東南東を向いており、伊吹山を背後にした形で造られている。 伊福氏の祖神を祭っているという。祭神は一説に'''多多美彦命'''(夷服岳神、気吹男神、伊富岐神ともいう 伊吹山の神)<ref>Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%AF%8C%E5%B2%90%E7%A5%9E%E7%A4%BE 伊富岐神社](最終閲覧日:25-01-22)</ref>* 伊夫岐神社:滋賀県米原市伊吹にある神社。祭神:伊富岐大神。祭神については、霜速比古命、多々美比古命、気吹男命、天之吹男命、又は素盞鳴尊であると、諸説があったが、明治初年より、八岐大蛇神霊として崇拝して来たところ、昭和18年、祭神を伊富岐神と改称された伊夫岐神社:滋賀県米原市伊吹にある神社。祭神:伊富岐大神。祭神については、霜速比古命、多々美比古命、気吹男命、天之吹男命、又は素盞鳴尊であると、諸説があったが、明治初年より、[[八俣遠呂智|八岐大蛇]]神霊として崇拝して来たところ、昭和18年、祭神を伊富岐神と改称された<ref>[https://www.shiga-jinjacho.jp/ycBBS/Board.cgi/02_jinja_db/db/ycDB_02jinja-pc-detail.html?mode:view=1&view:oid=1000 伊夫岐神社(イフキ)]、滋賀県神社庁(最終閲覧日:25-01-22)</ref>。* '''湯福神社''':長野県長野市箱清水にある神社。善光寺三鎮守(善光寺三社)・善光寺七社の一。祭神:健御名方命荒御魂命(あらみたまのみこと)。境内には善光寺開祖・本田善光廟がある。中には本田善光の墓とされる大石が収められている。湯福は伊吹、つまり風と関係ある語で諏訪社は風神としても信仰されていた。二百十日に善光寺町近辺の人びとが善光寺に参詣し、ついでこの社に参拝して風の平安を祈る習慣があった<ref>Wikipedia:湯福神社(最終閲覧日:25-02-04)</ref><ref>[https://adeac.jp/nagano-city/texthtml/d100080/ct00000008/ht000630 目次 / 第1章 長野町 / 第三節 神社と寺院]、長野市誌(最終閲覧日:25-02-04)</ref>。
=== 伊吹神の信仰 ===
==== 日本武尊 ====伊吹山の神は「伊吹大明神」とも呼ばれ、『古事記』では「牛のような大きな白猪」、『日本書紀』では「大蛇」とされていた<ref>[[#ヤマトタケルの足跡|竹田 (2012)、80頁]]</ref>。『古事記』には[[ヤマトタケル]](日本武尊)がこの伊吹大明神と戦って敗れる物語がある。伊吹山の神に苦しめられて敗れたヤマトタケルは病に冒されて山を下り、居醒の泉(米原市醒井の平成の名水百選の一つに選定されている「居醒の清水」<ref>https://www2.env.go.jp/water-pub/mizu-site/newmeisui/data/index.asp?info=61, 平成の名水百選・居醒の清水(いさめのしみず), 環境省, 2014-06-22</ref>)で少し回復したものの、のちに悪化して亡くなったとする伝説が伝えられている<ref>草川 (2006)、51頁</ref><ref>竹田 (2012)、78頁</ref>。山頂部にはその日本武尊の石像と<ref name="与呉 (2011)、98-101頁">与呉 (2011)、98-101頁</ref>、伊吹山の神の白猪の像が設置されている。表登山道の三合目西側の「高屋」と呼ばれる場所はヤマトタケルが山の神に出会った場所とされていて、大正時代に石の祠が建立され、その中に木造の日本武尊が祀られた、伊吹山の神の白猪の像が設置されている。表登山道の三合目西側の「高屋」と呼ばれる場所は日本武尊が山の神に出会った場所とされていて、大正時代に石の祠が建立され、その中に木造の日本武尊が祀られた<ref>『伊吹山リーフレット』 伊吹山観光振興会(2014年)</ref>。 「日本書紀」には、日本武尊が近江の伊吹山に荒ぶる神がいると聞き、草薙神剣を置いたまま伊吹山に向かう。伊吹山に至ると山の神が大蛇に化けて道を塞いでいたので、日本武尊はこれを神の使いと思い、どうせ神を殺すのだからと捨て置いて、蛇を跨いで進む。すると、山の神は雲を起こして氷を降らせた。などとある。 「平家物語」には、素盞嗚尊によって殺された[[八俣遠呂智|八岐大蛇]]の霊が伊吹山の神となって不破の関を塞いでいたとある。 「源平盛衰記」には、素盞嗚尊が[[八俣遠呂智|八岐大蛇]]を切ると尾から剣が出た。それを天照大神に奉ると、「私が天の岩戸に籠ったとき、近江国胆服嶽に落ちた剣です」と言って大いに喜んだ。彼の大蛇と言うのは胆吹(いぶき)の大明神の御体である、と書かれています。 「本朝神社考」は胆吹の神を'''[[八俣遠呂智|八岐大蛇]]の変化'''と記しています。これらの話から祭神に素盞嗚尊と[[八俣遠呂智|八岐大蛇]]が登場したのだろう<ref>[http://suisekiteishu.blog41.fc2.com/blog-entry-1773.html 尾張氏の謎を解く その39 ]、水石の美を求めて(最終閲覧日:25-01-24)</ref>。
また文献によれば、古代には近江国・美濃国の両国で伊吹神が祀られたことが知られる<ref name="日本歴史地名大系">「伊吹山」『日本歴史地名大系 21 岐阜県の地名』平凡社、1989年</ref>。国史では両神に対する神階奉叙の記事が散見され、中央にも知られる神であった<ref name="日本歴史地名大系"/>。両神は、『延喜式』神名帳においてもそれぞれ「伊夫伎神社」「伊富岐神社」として記載されて式内社に列しているほか、美濃の伊富岐神社は美濃国内において[[南宮大社]](一宮)に次ぐ二宮に位置づけられた<ref name="平凡社 伊富岐神社">「伊富岐神社」『日本歴史地名大系 21 岐阜県の地名』平凡社、1989年</ref>。現在も近江の神社は伊夫岐神社(滋賀県米原市伊吹)として、美濃の神社は伊富岐神社(岐阜県不破郡垂井町岩手)として祭祀が継承されている。
創祀については美濃地方の豪族の伊福部氏との関係を指摘する説があるが<ref name="平凡社 伊富岐神社"/>、複雑な創祀の事情を想定する説もある。『日本書紀』において伊吹山の神は龍蛇体とされるが、伊夫岐神社では[[八俣遠呂智|八岐大蛇]]を祭神とする説があり、[[酒吞童子]]を伊吹山の八岐大蛇の子とする物語もある。また、『を伊吹山の[[近江国風土記八俣遠呂智|八岐大蛇]]』において伊吹山の神である多多美彦命は霜速比古命の子であるとされるの子とする物語もある。また、『近江国風土記』において伊吹山の神である多多美彦命は'''霜速比古命'''の子であるとされる<ref>Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%90%B9%E5%B1%B1 伊吹山](最終閲覧日:25-01-22)</ref>。 ==== 気吹男命など ====天之吹男命と気吹男命はいずれも伊福部氏の職掌に関係する名前で、蹈鞴製鉄において蹈鞴炉に火を吹き込む作業を象徴する名前と考えられる。伊吹山周辺は冬場に強い風が吹き込むので、たたら製鉄には適した場所だった<ref>[http://suisekiteishu.blog41.fc2.com/blog-entry-1773.html 尾張氏の謎を解く その39 ]、水石の美を求めて(最終閲覧日:25-01-22)</ref>。 ==== 近江国風土記逸文 ====霜速比古命の子が多々美比古命で伊吹山の神。その姉が'''比佐志比女命'''で久恵峯にいた。多々美比古命の姪が浅井比咩命で浅井の岡にいた。伊吹山と浅井の岡が高さを競っているうちに、浅井の岡が一夜にして高さを増したので、多々美比古命が怒って浅井比咩命の首を刀で切り落としたところ、その頭が琵琶湖の中に落ちて竹生島となった<ref>[http://suisekiteishu.blog41.fc2.com/blog-entry-1773.html 尾張氏の謎を解く その39 ]、水石の美を求めて(最終閲覧日:25-01-22)</ref>。 <blockquote>浅井の岡とは金糞岳のことに間違いない。滋賀県で標高が伊吹山に次いで二番目なのも、「近江国風土記逸文」の記述と整合している。金糞岳に伊福部氏の地名や神社は見られないものの、関連性はあると推定される。Wikipediaには「金糞岳(かなくそだけ、きんぷんだけ)は、草野川東俣谷に古い鉱山跡があり、周辺には製鉄遺跡がある。鉱石を溶精する際に生じる金屎(かなくそ)が、山名の由来であるとする説がある。1824年(文政7年)の『古絵図』には「カナスソガ嶽」と記載されている。民話の『竹生島の話』で伊吹山に首を切られて、伊吹山より低い山になったと伝えられている。」とある<ref>[http://suisekiteishu.blog41.fc2.com/blog-entry-1773.html 尾張氏の謎を解く その39 ]、水石の美を求めて(最終閲覧日:25-01-22)</ref>。</blockquote>
== 参考文献 ==
* Wikieedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E7%A6%8F%E9%83%A8 伊福部](最終閲覧日:25-01-22)
* Wikieedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%90%B9%E5%B1%B1 伊吹山](最終閲覧日:25-01-23)
* [http://suisekiteishu.blog41.fc2.com/blog-entry-1773.html 尾張氏の謎を解く その39 ]、水石の美を求めて(最終閲覧日:25-01-24)
== 関連項目 ==

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